嵐メンバーも悲し 来年活動休止を見届けてもらえず…「いつまでもついていく」と話していた
2019年07月09日 23:50
芸能
また、櫻井も同日の日本テレビ「news zero」で「一日でも早く良くなるよう祈っているところです」と語った。
嵐は、ジャニーさんがCDデビューさせた20世紀最後のアイドルグループ。グループがお披露目されたのは千年紀目前の1999年9月。米ハワイ州のホノルル沖を航行中の客船上で記者会見を開く、異例の発表だった。米国で発生した「嵐」が海を越えて日本で旋風を巻き起こす。結成当初からのジャニーさんの願い通りにメンバー5人はその後、国民的スターとなった。
メンバーたちもハワイへ出発した時は、この5人で活動していくことになるとは知らなかったくらいの意外な編成だった。グループ名は意表をついて漢字一文字。日本語の50音順でも、アルファベット順でも「最初に呼ばれるから」とジャニーさんが命名。「あ」と「A」から始まる「一番」にこだわった。売り出したころは、先輩アイドルたちの間で「5人で嵐なら50人で五十嵐か?」などと笑いのネタにされてしまうネーミングだったが、そんなインパクトも逆に奏功した。
人気は時間をかけながら着実に右肩上がりに上昇。2007年4月には初の東京ドーム公演を実現させ、同年12月発売のシングル「Love so sweet」が大ヒット。4位でオリコン年間チャートのトップ10入りを果たした。ここからは男性アイドルの売り上げ記録を次々と更新。NHK「紅白歌合戦」と日本テレビ「24時間テレビ」の司会を同じ年に務めたこともあった。
そんな5人が結成20年目に下した大きな決断に対して、ジャニーさんは理解を示していた。休止発表会見から3日後の1月30日、取材に応じ「あと2年間頑張ってくれるだけで、すごくうれしいです。僕なんて、2年後はいないかもしれないけど」と冗談交じりに話していた。
そして「僕はいつまでも嵐についていきます。2年でも3年でも」と5人を今後も見守っていくことを強調。ここまでの嵐の歴史について、長かったと感じるか?と問うと「当然です」と即答。「昔は、嵐くらいの年齢で歌ったり踊ったりすると笑われたものです。20年間よく頑張ったなと思います」と称えた。
この時、引き合いに出したのはジャニーズ事務所の第1号グループ「ジャニーズ」。メンバー4人全員が20歳前後だった1997年に解散しており、ジャニーさんは「あの頃はジャニーズのメンバーが『もうできない』というのを、僕も何の違和感もなく受け止めていた」と振り返った。「だけど、限界が来たと思って止まったら、そこは本当の限界ではないということを教えてもらった」と、男性アイドルとしての限界を超え続けてきた嵐を称賛した。
大野によると、メンバーたちにも「20年間よく頑張ってくれた。ありがとう」と、ねぎらう言葉をかけてくれたという。