ジャニーさん卓越した「相馬眼」 Jr.を無料で育て大きな遺産に 複数有望ユニットがデビュー待つ
2019年07月10日 04:00
芸能
ジャニーズJr.がバックダンサーとしてテレビにも映るようなったのは、郷ひろみ(63)が1971年に事務所入りしたころから。当時の郷は「フォーリーブス」の後ろで踊るうちに注目度が上がり、1972年にレコードデビュー。「少年隊」も結成当初は田原俊彦(58)や近藤真彦(54)のバックダンサーだった。
本来は修行中のような立場であり、引き立て役でもあったジャニーズJr.の転換期は1996年ごろ。テレビ東京「愛LOVEジュニア」などの冠番組が始まるなど、Jr.だけでもビッグビジネスが成立。CDデビュー前なのに東京ドームで単独公演が開催できる存在となった。その中心にいたのが、昨年引退した滝沢秀明氏(37)だ。
滝沢氏は13歳で事務所入りし、半年後の1995年10月期のフジテレビ「木曜の怪談」シリーズでドラマ初主演。間もなく、120人前後のJr.をまとめるリーダーとなった。ジャニーさんからの信頼は厚く、コンサートや冠番組の仕切りはもちろん、演出にも積極的に進言。責任感が強く、面倒見もいいため、後輩たちからは慕われた。当時から「ジャニーさんがもう一人いるみたい」と明かすメンバーもいたほど。
この頃にはジャニーズJr.も各々のキャラクターに応じて複数の班を編成。楽器が得意なバンド班、トークが得意なバラエティー班、演技派は俳優班など、学校の部活動のように各班に分かれて才能に磨きをかけてきた。ダンス班を強化する指導役には、元TRFのダンサーが付いた。これを指揮したのがジャニーさん。どの班から誰を選び、何人組で編成したら、どんなユニットが誕生するのかと常に考えていた。
例えば、身長1メートル76以上のメンバーがそろう「MADE」は、メイドにかけて「お客様満足度ナンバーワン」を目指す4人組。Mはミュージカル、Aはアカデミー、Dはダンシング、Eはエキスパートの頭文字で、各分野に秀でたメンバーをそろえている。また、「HiHi Jets」はローラースケートが得意な5人組。「7 MEN 侍」のグループ名は故黒澤明の名作映画「七人の侍」に由来する。他にもジャニーズJr.の中には10組以上のユニットが誕生しており、切磋琢磨しながらCDデビューのチャンスを待っている。
いずれのグループにも、メンバーの選択からネーミング、育成法などジャニーさんならではのアイデアがみられ、事務所に残した大きな遺産といえる。その天才プロデュースぶりを少年時代から間近に見続けてきたのが、“Jr.の申し子”といえる滝沢氏。現在のジャニーズJr.のメンバーたちにとっても、距離が最も近い存在となっており、継承者として手腕が注目される。