町亞聖、壮絶な介護の末にたどりついた結論 介護は“写し鏡”「母が笑顔になると私も笑顔に」
2019年09月20日 21:03
芸能
当時、朝の番組のため家を出るのが深夜2時。収録やナレーションの録音を済ませ帰宅した後は、すぐさま広美さんの介護。「母の代わりに家事もすべてこなしていました。睡眠時間は3時間のときもあった」と振り返る。父の収入では家計を賄えず、弟と妹の学費と生活費のために身を粉にして働いた。
数年前までは自分が頼っていた母がサポートを必要するのを見ることは正直辛かった。「お母さんが壊れていくというのは厳しい現実だった」と語る町。ただ仕事を投げ出すことは決してしなかった。体を動かせない広美さんの唯一の楽しみが、娘の活躍する姿をテレビで見ることだった。また、母の喜ぶ姿を見ることが町にとって何ものにも代え難い幸せだったという。
10年にもわたる介護生活の最後の1年半、広美さんは子宮頸がんの末期で闘病することになった。町は病院ではなく家での終末期医療を選んだ。「1分1秒が大事で、1日1日が大事。母が生きている間に気づかせてくれた」。声を出すのも辛い中、広美さんが最期に残した言葉は「ありがとう」だった。
町が介護を通じて得たことは「辛さを家族が抱え込んでしまい、踏ん張って踏ん張って折れてしまってはもう遅い」ということ。「母が笑顔になると私も笑顔になる。介護は写し鏡みたいなもので、笑顔でいたから笑顔で返してくれて」といい「介護で何よりも大切なのは心と体」という結論を出した。