テレ東「池の水」で歴史的発見!長野・上田城のお堀から450年前の瓦 天守閣があった証拠に?
2019年09月21日 13:00
芸能
お城好きで知られる番組MC・ロンドンブーツ1号2号の田村淳(45)は「上田城は天守を造っていない。(真田のような)策士は天守を造らず、目立たないように振る舞った」と知識を披露。真田時代の上田城は、実は関ケ原の戦いの後に破壊。当時の記録がなく、建造物を再現できていない。天守閣もなかったと考えられてきたが、約30年前、戦国時代に天守に使うのがトレンドだったという金箔瓦がお堀から発見され、本丸に天守閣があった可能性が出てきたという。
淳ら一行はお堀の水を抜き、生物を捕獲した後、お宝調査を開始。すると、本丸近くのお堀から数多くの瓦が出土した。
淳が見つけたのは、屋根の先端に使用する平瓦。専門家によると、真田の頃の文様だという。淳は思わず瓦を抱き締め「思いをはせていますよ。どんな思いで、この城を建てたか…」と感慨深げ。
ゲスト・あばれる君(32)は菊の花の模様「菊花紋」の軒丸瓦を掘り出した。発掘調査でもあまり出てこない貴重なものだといい、大坂城の天守閣や聚楽第でも同じようなものが使われ、豊臣秀吉の時代と同じ、つまり同時代の真田の頃の瓦と判断できるという。
これらの瓦は、果たして上田城に天守閣があったという証拠になるのか!?歴史的発見であることは間違いなく、今回見つかった瓦は上田城跡公園内にある上田市立博物館で展示される予定になっている。
伊藤プロデューサーは「これは歴史的大発見です!450年前!幻のお宝が出土しました!その名も菊花紋軒丸瓦!!名城のお堀ぜんぶ抜くシリーズの第5弾。毎回必ず“お宝”が出ています。今回は戦国時代を生きた武将・真田幸村の父・真田昌幸が築城したと言われる上田城。この城の天守閣は幻。あったのか?なかったのか?記録に残されていないというのです。戦国時代“ド派手な天守閣”が存在していたならば、お堀から450年前の名城を飾った証拠のカケラがザクザク出てくるはず。そして…ザクザク出てきたんです。しかも専門家がビックリするような文様が刻まれていたのです。それが何を意味するのか?史上最も歴史的価値が高い!?大きな大きな意味を持つ大発見にご注目ください」とアピールしている。