高倉健さんと歩んだ「伴奏者」の17年 死去から5年──最後に愛した女性が初の手記
2019年10月28日 05:30
芸能
1996年3月の香港での出会いから、翌年のイラン取材旅行を終えた後に真剣に向き合うようになった経緯、そしてそこから健さんが亡くなるまでの17年に及ぶ2人の時間が4章構成で興味深くつづられている。
おなかの減り具合を「腹ペコ」から取った造語の「ペコリン度数」で表現するなど、おちゃめな一面ものぞかせた健さん。寄り添った人だからこそ書けるエピソードが満載で、小田さんがインスタントカメラで撮影した穏やかな写真も掲載されている。健さんのお気に入り映画が一口メモ付きで紹介されているのも面白く、資料としても貴重な一冊となっている。
◆小田 貴月(おだ・たか)1964年(昭39)生まれ、東京都出身の55歳。女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーとして活動。96年、香港で高倉健さんと出会う。2013年に健さんの養女になり、現在は高倉プロモーション代表取締役。
【手記の読みどころ】
(1)97年4月、小田さんが仕事でイランに向かうため都内ホテルから成田空港行きのリムジンバスに乗り込むと携帯電話。出ると「行ってらっしゃい。後ろを見て!」と健さん。ホテルの駐車スペースに止めていた車から敬礼のポーズ
(2)健さんからのリクエストはたった一つ、「化粧をしないで」
(3)黒澤(明)さんの映画に出ていたら、僕の人生は違っていた
(4)かつて(健さんが)信号待ちで停車していたら、パン屋のご主人に気づかれたことがあったので、私が運転する時も、「とにかく信号の一番先で止まらないように気をつけること!」
(5)「南極物語」で過酷な体験。「ウンチがこんなに大変だと想像もしなかった」
(6)初めてハリウッド映画「燃える戦場」に出演した際の秘話。ヘンリー・フォンダに健さんが「一緒に写真撮ってください」とお願い