元AKB48内田眞由美 20歳で借金5000万円 “センターの悲劇”で激変したアイドル人生
2019年11月29日 20:40
芸能
そんな内田の、実業家への転身は、AKBでセンターを務めたときに巻き込まれた“悲劇”だったと今回の出演で明かした。
13歳でAKB入りしてから数年間、鳴かず飛ばず。だが、16歳のとき、大チャンスを手にする。メンバー51人が参加した「じゃんけん大会」で優勝し、19枚目のシングル「チャンスの順番」でセンターを担当する。
当時、「ヘビーローテーション」の大ヒットで、AKB人気に火がつきだしたころ。その中でも「センタ―」と言えば名実ともにトップアイドルだった。だが、内田に向かって「あんなブサイクが…」「しょせん運だけ」「まぐれセンター」といった誹謗中傷が降りかかった。心無い言葉の数々に少女は傷ついていく。母親によると、「家に帰ってきても口を聞かなかった」という。
さらに、AKBメンバーが出演するコント番組での出来事がダメを押した。この番組で内田に渡された役は「岩」だった。「台本をみると、ひとつもセリフもない」、他のメンバーがコントを演じている中、隅っこで、ただじっとしている役だった。内田は「ああ、アイドルとしては輝けないんだ」と、夢見たアイドルからの引退を決心したという。
20歳のときに、「銀行から5000万円を借り入れ」、ゲームセンターだった物件を改装し、現在の店をオープンした。実家が都下で精肉店を経営しており、父親が毎日、店で出す新鮮な肉を運んできているという。
店名の「IWA」は、あの屈辱のコント番組の役からつけた。内田は「悔しさをバネに」と説明、「借金を返し、頑張っていきたい」と抱負を語った。