中川翔子、中学時代のいじめ体験告白「親には言えなくて…」 母の行動に感謝
2019年12月05日 20:03
芸能
父・勝彦さんは94年、中川が9歳の時に亡くなるが、「一緒に絵を描いてました。絵を描くのが楽しいという気持ちは小さい頃からずっとあった。白い紙があったら絵を描いたり、雑誌を丸ごと模写したりして友達と絵を交換していた」と小学校では楽しい生活を送っていた。
だが、中学に進学すると楽しかった学校生活が一変。いじめの対象になってしまう。「絵を描いていると“アイツ絵ばっかり描いてキモい。オタクじゃね”と陰口が聞こえてくる感じで。絵を描いていることはオタクでキモいのかと怖くなってしまった」。
絵がきっかけで始まったいじめは徐々にエスカレート。クラスメートに侮辱されるようなアダ名をつけられ、無視されるなど深刻化。そして中3の2学期以降、不登校になってしまう。「“私なんて…”と思い込んだり、固まってしゃべっている人たちを見ると“どうせ私の悪口を言っているに違いない”と妄想でワーってなっちゃって。中学時代が凄くしんどかった」とつらかった心境を吐露。
「ある時、学校に行かなくなって。“行けない、行かない。嫌だ”と鍵をかけて部屋に閉じこもって。母には“何言ってんの。学校行かないとダメ人間になるぞ”と言われ、怒鳴り合いになった。でも、私が何で行きたくないかを言わなかったんです。言えなかった。親には言えなくて…」と打ち明けた。
そんな娘の気持ちを察した母・桂子さんは、旅行に誘うなど娘に寄り添った。「勉強しろとか言わなくて母親らしくはなかったけど、友達っぽく何でも話せる存在として隣にいてくれた」。
その後、桂子さんが通信制の高校を探してくれたといい「“自分のペースで行けるからいいじゃない”と。だんだん学校に行けるようになって。同じように不登校でいじめられている子もたくさんいたけど、そういう子もそこで居場所を見つけたり、やりたいことを見つけて大学進学したりした子がたくさんいた。それぞれ合う合わないがあるんだなと、そういう問題に直面してから分かることでした。母が諦めずにそういう道もそっと用意してくれたことはありがたかった」と感謝した。
いじめを乗り越えた中川は大好きな絵を描くことを通じてたくさんの人々に夢と希望を与える活動をしている。
「悩んでいる時間は無駄じゃなくて、いつか生きてきてよかったと思える瞬間で上書きできることもある。30代になってからやっとそう思えるようになったかもしれない。涙も別れもたくさんある。だからこそ人生って尊い。小さい頃は必死に今の環境と戦うことしかできないから分からなかったけど、間違いなく好きなものは裏切らないなと思います」と微笑んだ。