蘊蓄王将戦
2020年03月10日 07:30
芸能
直近では第64期(2014年度)第4局の渡辺明王将―郷田真隆九段(以下肩書、段位はすべて当時)で先手の郷田が勝利を収めて以降、翌65期(2015年度)第2局・郷田王将―羽生善治名人の羽生勝ちまで「5連勝」がある。日本将棋連盟提供のデータベースに残る1975年までさかのぼって確認すると、「5」はさらに2ケースあった。つまり今回の「4」は、話題としてスポットライトを浴びせるほど特異な例ではなかったか。
と、ここで資料を閉じようと思ったら、なんとも興味深い事実を発見してしまった。
第27期(1977年度)開幕局から第28期(78年度)第2局までの8局、なんと後手が全て制している!!
カードは第27期が中原誠王将―有吉道夫八段。第1局(77年12月16、17日=東京・将棋会館)で後手の中原が124手で勝ったのが幕開けだった。第5局まで後手番勝利が続いて迎えた第6局(78年2月2、3日=山形県天童市・東松館)。中原の先手で始まった手合は62手で千日手が成立、先後を入れ替えての指し直し局は後手となった中原がモノにして王将戦6連覇を達成している。
翌期の顔合わせは中原王将―加藤一二三棋王。第3局(79年1月16、17日=愛知県・銀波荘)で先手の加藤が2勝目を挙げ、後手の連勝が8でようやく止まった。
面白いのはこの8局全部が矢倉戦型だったこと。先述の千日手局も含めると実質9局だ。「矢倉の王将戦」という別名が付けられていただけのことはある。
かつては「将棋の純文学」と表されるほどクラシックな戦法だったのに、あまりに研究が進んで煮つまり感が生じたのか、プロ棋戦で自然消滅の危機に立たされたのがつい5年ほど前だった。「矢倉は死にました」と公言する若手棋士もいた。ところがここ1、2年の間に「新古典派」としてにわかに復活したのだから、将棋の世界は奥が深い。
今期王将戦7番勝負でもこれまでの5局中、3局が矢倉戦。温故知新を地でいくトップ棋士同士のつばぜり合いだ。(専門委員)