倉本聰氏憂う「やり過ぎないと面白くない」狭量な時代だからこそ、ドラマはスケールの大きな虚構でなければ
2020年03月23日 10:00
芸能
主演の石坂浩二(78)と、実生活で元妻だった浅丘ルリ子(79)、そして元恋人の加賀まりこ(76)を同時に起用。さらに「元交際相手」という設定で描いた。普通に考えれば通らないような設定だが、倉本氏は「怒ったら怒った時のことと思っていた。相手もブラックユーモアで来るしね」と豪快に笑い飛ばした。
時代の経過とともにおおらかさが失われつつあり、物事をユーモアで受け止めない人が多くなった昨今。「ドラマが小さくなった」とこぼす。「世の中やり過ぎないと面白くない。中途半端なんだ」。
半世紀以上の脚本家生活で導いた大原則がある。「最初に大きなウソはついていい」。
名作「北の国から」も「あんなところに住むこと自体が大きなウソ」と語る。「大ウソのボルテージが高い分だけ、スケールが大きくなる。その基本形をみんな忘れている」と指摘する。
一方で倉本作品に一貫しているのが「小さなウソ」がないこと。人々のキャラクター、性格を細かく掘り下げ、場面ごとにどう動くかをとことん考えた。また職業や地域の風習に基づく、何げないしぐさや習慣を物語に落とし込む。こうした細部のリアリティーが「大ウソ」とのコントラストを鮮明にするのだ。
豪快さで鳴らした、元石原プロ専務の“コマサ”こと故小林正彦さんと作ったテレビ朝日「祇園囃子(ばやし)」(05年)は、京都・祇園の通りを封鎖し車1台も寄せ付けずロケを敢行。「そういうバカがいなくなった」とこぼす。
コンプライアンス重視の時代背景、制作費の限界も理解しているが「考えることをみんなしなくなった。根っこを考えず、どんな花を咲かすか、どんな実をならすかばかり。だから根っこのないドラマになる」と訴える。
狭量な時代だからこそ、ドラマはスケールの大きな虚構でなければならないと話す。たとえば芸能人が不倫を責められる昨今「そんな役者だって、浮気ネタでドン!とやりゃいいじゃないか」と語る。
「僕も昔はショーケン(萩原健一氏)とか(不倫や不祥事を起こした俳優)のことを書いた。今でもできますよ。もっと破天荒でいいと思う」。豪快かつ繊細な作品作りを後進に期待している。
◇「やすらぎ」シリーズ 17年4月から半年間放送された「やすらぎの郷」は、俳優や歌手、脚本家ら昭和の時代にテレビで活躍した人だけが入居する老人ホームが舞台。家族、遺産、友情、愛情、死への恐怖などをユーモアたっぷりに描いた。過激なセリフや賭け麻雀も登場。批判を恐れて守りに入った現在のテレビ番組をシニカルに表現する場面もあった。昨年4月にスタートした「やすらぎの刻(とき)~道」は続編で、主人公の菊村栄(石坂浩二)が執筆したドラマ「道」が映像化されていく物語と、老人ホームのその後を描いた。テレビ朝日がシルバー向けに月~金曜の昼に作ったドラマ枠「帯ドラマ劇場」で放送。ドラマ界に新風を吹き込んだ。