志村けんさん 新型コロナで力尽く…兄・知之さん悲痛 感染防止のため「お骨を拾うこともできない」
2020年03月31日 05:30
芸能
30日午前、所属事務所が報道各社に文書で死去を報告。都内の事務所に殺到した報道陣に関係者が応対し「こういう亡くなり方をするとは本人も思っていなかったと思う」と悲痛な表情を浮かべた。
今年はテレビのレギュラー番組に加え、映画「キネマの神様」やNHK連続テレビ小説「エール」に出演など意欲的な活動を予定していた。今夏開催予定だった東京五輪では、ドリフ時代の「東村山音頭」の舞台でもある故郷の東京都東村山市を、聖火ランナーとして走る予定だった。それだけに、ますます無念さが募った。
志村さんは今月17日に倦怠(けんたい)感を訴え自宅で静養。19日に発熱、呼吸困難の症状が出た。20日に訪問診察した医師の判断で東京都港区内の病院に搬送され入院。23日に新型コロナウイルス陽性と判明した。24日には感染症の専門病院に転院し、人工心肺を装着して治療していた。
所属事務所によると21日から意識は戻らず、人工呼吸器に切り替えてからは会話も一切できなかったという。
この日、東村山市の実家で報道陣に対応した兄・知之さん(73)は「感染症の問題があるから、病院に行っても会えなかった。今後も遺体の形では会えない。だからもう顔を見ることもできない」と涙を流した。
遺体は保健所などの指針に基づいて、31日、安置先の都内の病院から指定の火葬場に直接運ばれ荼毘(だび)に付される。遺骨は夕方、実家に戻るという。「火葬にも立ち会えないと聞きました。お骨を拾うこともできない」と知之さん。最後に会ったのは先月25日、志村さんの住む東京・麻布十番で行った志村さんの古希祝いだった。「その時が最後になっちゃった…」と声を詰まらせた。
葬儀・告別式は未定で「人数を少なくしてやります」。関係者によると、お別れの会は「5月くらいを想定している」というが、数万人の弔問が予想されるだけに、感染拡大の観点から開催は容易ではない。知之さんの妻サヨ子さん(69)は「盛大に送ってあげたいけど、こんなことってありますか。悔しいです」と、コロナの非情な恐ろしさに打ちひしがれた。
菅義偉官房長官も「大変残念に思う」と弔意を示したほどの大スター。そのあまりに寂しく早すぎる死を教訓に、日本はコロナに打ち勝たねばならない。
≪兄・知之さん「もう顔を見ることもできない。お骨を拾うこともできない」≫「もう顔を見ることもできない。お骨を拾うこともできない」。志村さんの兄、知之さんの悲痛な叫び。厚労省は遺体からの感染を防ぐため、遺体については全体を非透過性の専用袋で密封し、極力そのままの状態で火葬するよう指導しているためだ。ほか、遺体に直接触れる場合には遺族であっても、手袋などを着用するよう求めている。実際、火葬を依頼した際に業者からちゅうちょされたり、霊きゅう車の利用を拒否された遺族もいる。闘病中も面会できても窓越しで、マスク以外に防護服やゴーグルなどの着用を求められる。
≪厚労省からの指導で≫なぜ顔を見ることも、お骨を拾うこともできないのか。厚労省は遺体からの感染を防ぐため、遺体については全体を非透過性の専用袋で密封し、極力そのままの状態で火葬するよう指導しているためだ。また、遺体に直接触れる場合には遺族であっても、手袋などを着用するよう求めている。実際、火葬を依頼した際に業者からちゅうちょされたり、霊きゅう車の利用を拒否された遺族もいる。闘病中も面会できても窓越しで、マスク以外に防護服やゴーグルなどの着用を求められる。
◆志村 けん(しむら・けん、本名康徳=やすのり)1950年(昭25)2月20日生まれ、東京都東村山市出身。都立高校を卒業直前の68年にザ・ドリフターズの付き人となり、74年に故荒井注さんの後任としてメンバー入り。TBS「8時だョ!全員集合」、フジテレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」などでギャグの王様に。レコード「東村山音頭」もヒットし、舞台「志村魂」では三味線も披露。主な著書に「変なおじさん」など。