東山紀之 80年代のジャニーズの合宿所は「凄まじい広さだった 合宿所のイメージとは違う」
2020年07月22日 14:30
芸能
近藤や田原はトップアイドルとして活躍しており、「仕事が忙しいから寝に帰ってくるだけ」だったとか。その合宿所には「レコード会社の人が来たり、振り付けの人が来たり」していたそうで、「シングルを決める時とか、みんなで参加して、あれがいい、これがいい、みたいな聴き比べをやったりとか。みんなでどう思う?みたいな話し合いとかしてた。シブがき隊のB面とかはうちのニシキが考えたタイトルがついたりとか、意外と面白い。マッチさんの『ハイティーン・ブギ』を作るときも、山下達郎さんの作曲なんですけど、達郎さんが合宿所に来て、いろいろ打ち合わせしているところに、僕らもいて、そういうのは結構多かったですね」と意外な裏話も披露した。
家事などはすべてお手伝いさんがやってくれたといい、「ゲームもできるし、思いついたらすぐリハーサルができる感じになってた」という。とにかく「凄まじい広さだった。合宿所(という言葉)のイメージとはちょっと違うと思う。マッチさんとトシちゃんの部屋はブワーン、ブワーンって広かった。僕は植草と同じ部屋だったんですけど、各自部屋がちゃんとあって」と振り返った。
当時のようなシステムは今はないが、「中居(正広)と城島(滋)(の時)は残ってたね。V6も井ノ原(快彦)ぐらいはいたかな」と明かした。