「エール」藤堂先生出征にネット涙 裕一ら教え子と“今生の別れ”森山直太朗「3人の子ども時代も頼りに」
2020年09月24日 08:15
芸能
第74話は、鉄男(中村蒼)の歌詞に了承が得られず、難航している「暁に祈る」の主題歌制作。鉄男が降板するなら、自分も降りると言った裕一(窪田)に、もう1回だけチャンスが与えられる。歌詞を書くきっかけをつかもうと、裕一は鉄男を連れて福島に帰る。久しぶりに顔を出した実家に、何故か久志(山崎育三郎)の姿も。そして賑やかになった古山家に藤堂先生(森山)が妻・昌子(堀内敬子)と5歳の長男・憲太を連れて現れる…という展開。
朝ドラ初出演の森山が演じるのは、裕一の小学校の担任・藤堂清晴。音楽教育に情熱を注ぎ、裕一の作曲の才能をいち早く見いだした。裕一が大人になってからも良き相談相手となり、音楽の道を応援している。
第74話の時代設定は1938年(昭13)6月。藤堂先生は47歳、裕一は28歳。1919年(大8)秋、最初の出会いから約20年が経った。
(※以下、ネタバレ有)
作詞に悩む鉄男を神社に連れ出し、藤堂先生は「オレさ、(鉄男が作詞した)『福島行進曲』、好きなんだよ。あれって、たった1人のことを思って自分の気持ちをつづった歌だろ?誰か1人に向けて書かれた曲って、不思議と多くの人の心に刺さるもんだよな。今度は、オレのことを思って書いてみてくれないか?」とアドバイス。
そして「実は、出征することになったんだ。うちの父は軍人でね。若い時には反発していたが、自分も親になってみて、親父の気持ちが分かるようになった。お国のために、立派に役目を果たしてくるよ。歌って、心の支えになるだろ?誰にでも自分にとって大切な曲があるもんだ。もし、村野と古山が作った曲と共に(戦地に)行けたら、こんなに心強いことはない」と打ち明けた。藤堂先生は予備役将校だった。
夜になり、裕一の母・まさ(菊池桃子)の手料理に舌鼓を打つ一同。藤堂先生は「みんなとは、楽しい思い出ばっかりだ。本当に幸せな教師生活だったよ」と今生の別れを告げるように言った。藤堂先生が帰った後、川の字で寝ている裕一、久志、鉄男。久志は「先生ほど教師が向いている人はいないのにね…」。3人は恩師との思い出に浸った。
SNS上には「藤堂先生が出征…どーしよ、つらい…(泣)」「藤堂先生、この時期ならまだ無事に帰ってくると切望する」「藤堂先生…もう戦地から帰ってこれないかのようで…。『エール』でこんな涙出たことないや」「藤堂先生の生徒への愛情深さには涙が出てくるね」「藤堂先生の言葉には聞いたことを身体に入れ込んで、自身の言葉にしてるから説得力と重みがある。音楽については特に。中の人、にじみ出ている」などの書き込みが相次いだ。
藤堂先生と“福島三羽ガラス”(裕一、久志、鉄男)の再会シーンについて、森山は「窪田君とは何度も同じシーンでご一緒していたんですが、実は育三郎君と蒼君とは最初のお芝居。それなのに『おまえたち、元気だったか?』という感じで、どこか先生然としてなきゃいけないシーンなので、多少、気後れする部分もありました。ただ現場に入ると、本物の“福島三羽ガラス”のような横の絆、それぞれの個性が3人から伝わってきたんです。そのおかげで、自然と藤堂先生として立ち振る舞うことができました」と3人に感謝。
「僕の拠りどころは、子ども時代の彼らと接していること。だから3人がどんなにカッコいいイケメンに成長しても(笑)、藤堂先生にとっては子どもの頃で時間が止まっているんだろうな、と。育三郎君に関しては、もう(子役・山口太幹の)生き写しなんじゃないか、と思うぐらい。そういう意味では、子ども時代の記憶を頼りに、3人と接しているという感じもありましたね。それぐらい子役のみんなも素晴らしかったと思います」と序盤からの流れも含めて振り返った。
藤堂先生が出征する展開について、制作統括の土屋勝裕チーフプロデューサーは「最初から決まっていたわけではなく、撮影が始まってみると、序盤の子役との絡みなど、森山さんのお芝居にどんどん惹きつけられて、藤堂先生の役割が大きく膨らんでいった結果です」と森山の演技が決め手になったと明かす。
森山の起用理由については「お芝居うんぬんというよりは、やはり音楽をされている人がいいと考えていました。裕一の音楽の才能を見いだす藤堂先生というキャラクターに説得力が出ますから。あまりドラマには出演されていない森山さんでしたが、その誠実な佇まいに藤堂先生役をお願いしました」と説明。「子どもたちへの優しさはもちろんですが、まだ内密とお願いされた裕一の国際作曲コンクール入賞を新聞社に勤める鉄男に思わず漏らしてしまうといったコミカルさもつかんでいらっしゃって、幅の広い演技をしてくださっています」と絶賛している。
今後、戦時歌謡の第一人者となる裕一も、音楽慰問としてビルマの戦地へ。出征後の藤堂先生との“師弟関係”が一層、注目される。