青山テルマ 大ブレークで母に家をプレゼントも…“転落”の日々に苦悩「家の電気も付けられない」
2020年10月03日 17:29
芸能
待遇の変化にも驚いたそう。「レコーディングも前までスタッフが1人だったのが10人くらい」、事務所を訪問すれば「テルマさん来ましたよ」と、スタンディングオベーションを浴びる日々。「これでみんな天狗(てんぐ)になっていくんだろうな」とも思った。
瞬く間にブレークした後は「転び落ちた」と青山。「そばにいるね―」ほどのヒット曲に恵まれず、「会社に行く度にスタンディングオベーションだったのが『あ、お疲れ様です』みたいな」と打ち明け、「レコーディングもケータリングがすごかったのが水が2本とか、グリーン車が普通車になるし」と、ぶっちゃけた。
苦悩の期間は「5、6年くらい」あった。全てをネガティブにとらえてしまうほど落ち込み「一番ピークの時」には、「家の電気も付けられない」ことも。「人とすれ違うと妄想だけど『アイツ売れなくなったな』って言っている気持ちになった」と話した。
自身の境遇を「誰かのせい」にしたくなる気持ちも芽生えた。「このままでは腐る」。思い直した青山は「自分の強さを取り戻そう」と、かつて留学していた米国へ。そこで「何で自分はこんなに売れなくなったのか。自分も絶対調子に乗っていたし、全部自分のせいにした」という。
帰国した青山は「雑誌を出したり、自分が似合う服を着たりとか、自分が歌いたい歌を作ったりとか。自分の本性をSNSで出し始めた」。自然体でふるまうようになると、バラエティー番組から声がかかるように。はじけたキャラクターで人気になった。
「小さいころ芸人さんになりたくて、逆に好きすぎてバラエティーを避けてた部分があるんですよ。見る側に徹底していたんですけど、やるんだったら中途半端でやるのもだし、腹くくってバラエティーにも出始めました」と青山。番組内では岡村隆史(50)らと即興コントにも挑戦、大きな笑いを誘っていた。