魅惑の声・浜崎美保 「ふと力が抜ける瞬間を作りたい」
2020年10月29日 12:30
芸能
現在の声に至るまで、短くはない歴史がある。鹿児島県に生まれ、教育熱心な親に育てられた。小学校、中学校と受験し、勉強を続けたが、目指す高校、大学の受験に失敗して挫折感を味わった。
やりたいことがほかにあった。歌って踊ること。大学に通わない日々の中、母親に「どこか事務所に入ったら?」と勧められた。地元のモデル系事務所に所属すると、歌、踊り、芝居、ウオーキングのレッスンにいそしんだ。テレビ番組のリポーターを務め、ファッションショーに登場し、やがてラジオ番組に出演した。
「地元のラジオで話し始めたのは20歳くらいの時で、大学生でした。その時はまだまだ声が高かったです。当時は高くて不快に感じた人がいるかもしれません」
地元での仕事は順調だった。ラジオ番組をきっかけに歌手としてCDを発売し、ライブ活動を始めた。抱いていた夢がかなった。レギュラー番組は続き、新聞でコラム、書評も書いた。ところが、25歳の時、強い思いにとらわれた。エンターテインメントの仕事に携わるならば、やはり、東京に行かなくてはいけない。
何のあてもなく上京した。百貨店でアルバイトしながら、オーディションに応募した。家賃は6万円弱。1日100円だけ使うという個人的規則の中で暮らした。それでも、東京での生活は楽しかった。
7年前、TOKYO FM「Skyrocket Company」放送開始に当たり、パーソナリティーを務める脚本家のマンボウやしろ氏のアシスタントの募集があった。やしろ氏は選考で「浜崎さんという人以外なら誰でもいい」と言ったが、放送作家の「番組は、やりたくない人と組んだ方が長続きする」との意見で採用が決まった。
「自分の一生を賭けて臨まなければいけない勝負だと思っていたので、たぶん、私の圧がすごかったのでしょう。やしろさんは最初、苦痛だったと思います。開始当時の声がたまに番組で流れるんですけど、今よりもちょっと高い。年を重ねるうちにどんどん低くなって、ここ5、6年で落ち着きのある声になったと思います。今年に入ってさらに低くなりました」
それが現在の声だ。万人に当てはまることではないだろうが、少なくとも彼女の場合、人生の年輪が声帯に良い作用を与えていると感じる。年月を経て熟成された声。今が最良。いや、これからますます良くなるかもしれない。
「あまりハスキーにはなりたくない。でも、なりそうですよね。変化を楽しみつつという感じですかね。私はみなさんを元気にするようなパーソナリティーじゃないと思っているので、みなさんの力を抜いてあげられるようなしゃべり手になりたい。ふと力が抜ける瞬間を作りたいです」
確かに、ラジオから流れる彼女の軽やかな笑い声を耳にすると、体から力が抜けるような感じになる。とても心地よい。
今後の目標は、できる限り長く番組を続けること。それとともに、こんな思いも抱いている。
「声で作品を残したい。役を演じるなら、人間じゃないものをやってみたいです。悪魔とか、逆に、神々しいものとか」
独特の感性も、声帯に好影響をもたらしているようだ。
◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在は主にテレビやラジオを担当。