女優・浅香光代さん死去 92歳 膵臓がん
2020年12月14日 14:11
芸能
戦後、浅草松竹演芸場などに出演。大江美智子らと並ぶ女剣劇の人気者になり、長期興行を打てる中堅劇団に成長させた。一座にはのちに「てんぷくトリオ」で活躍する三波伸介や戸塚睦夫らが在籍し、幕間には玉川良一らが客演していた。79年には「演劇舞踊浅香流」を創始し、600人を超える門弟の指導に当たってきた。
98年6月、東京・銀座の博品館劇場で行った舞台「ミッチー・サッチーの熟女対決」で野村沙知代さんと共演。仲良しぶりをうかがわせたが、舞台裏では後に裁判にまでなる対決の火種がともっていた。翌99年3月31日、浅香が5年間担当したTBSラジオ「大沢悠里ゆうゆうワイド」の水曜パートナーを体調不良を理由に降板。その最後の放送でサッチー批判を展開。詳しく聞こうと自宅に押し寄せた取材陣を前に「これっぽっちもいいところがない。ひっぱたいてやりたい」とこき下ろした。
これに対して沙知代さんも反撃。民放各局のワイドショーが連日取り上げるほどの騒動になった。01年12月に沙知代さんが所得税法違反で逮捕された際には「天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」と浅香さんはコメント。02年5月に沙知代さんに懲役2年執行猶予4年の判決が下ると、「天の制裁が与えられた」と述べるなど泥沼化した。
同年7月に沙知代さんが名誉を傷つけられたとして浅香さんを相手に約1億1000万円の損害賠償を求めて提訴。口頭弁論の中で、浅香さんが3歳若く年齢をさば読んでいたことも明らかになる一幕もあった。結局、翌04年に浅香さんに110万円の支払いが命じられた。
80歳を過ぎても意気軒昂で、10年にはプロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦。高山善廣(54)と対戦して花を添えた。
私生活では幾多の男性遍歴を誇り、恋多き女として知られた。最初の正式な結婚は72年。実業家の吉田博士氏と結ばれたが死別。92年に年下の世志凡太と再婚した。14年、雑誌「婦人公論」で20代で出産した隠し子がいることを公表。子供の父親は総理大臣、副総理を歴任した政治家(故人)と明かし、話題を呼んだ。
18年に都内ホテルで卒寿を祝う会が開かれ、萩本欽一(79)、山東昭子参院議長(78)、亀井静香氏(84)らがお祝いに駆けつけた。09年、春の叙勲で旭日双光章を受章。