なかにし礼さんとエンターテインメント 分野の壁感じさせぬ才能 演歌からJ―POP、酒好き、女好き
2020年12月25日 06:00
芸能
なかにしさんが「大恩人」と呼んだのが石原裕次郎さんだった。まだシャンソンの訳詞家だった1963年、最初の妻と新婚旅行で訪れた静岡・下田のホテルのバーで偶然出会った。「俺の歌を書くぐらいの作詞家になれ」と激励された。その言葉を胸に、流行歌の作詞の道へと進んだ。
ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、北島三郎の「まつり」といった歌謡曲や演歌から、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」といったJ―POPまで幅広く手掛けた。約束通りに裕次郎さんにも多くの詞を提供。87年7月に亡くなる3カ月前、生前最後のシングル「わが人生に悔いなし」が発売。♪長かろうと 短かろうと わが人生に 悔いはない――。短くて濃い人生を生きた裕次郎さんの思いを表現したものだった。
時代が平成になると、小説家として文学的才能を世に知らしめた。02年の「てるてる坊主の照子さん」は翌03年に映像化され、石原さとみ(34)の主演でNHK連続テレビ小説「てるてる家族」として放送された。特に描写の力は高く、「長崎ぶらぶら節」「赤い月」など映像化作品も多くヒットした。
私生活は酒好き、女好きで有名だった。銀座でよく飲み、女帝と呼ばれた有名なママとの恋模様は世間で広く知られた。美空ひばりさんと「恋愛関係だった」と冗談交じりに明かしたこともある。
芸能界の実力者たちとの交友関係も広く、それが新たな仕事にも次々とつながった。
昨年は、仕事をしたことがなかった矢沢永吉(71)から「今度のアルバムが最後になるかもしれない。最後の歌はなかにしさんに書いてもらいたい」と頼まれ、「いつか、その日が来る日まで…」という曲の詞を書いた。最後の最後まで、言葉での表現に力を注いだ人生だった。