「小椋は死ぬけど林部智史がいる!」44歳差異色コンビ、アルバム同時発売に込めた思い
2021年01月12日 05:30
芸能
小椋「大好きな黒澤明監督の最後の映画が『まあだだよ』。僕の最後もこれにしようって思っていた。そしたら林部君と一緒にやろうってことになったんで、この2つの掛け合いを互いのタイトルにしたんです」
デビュー前から「愛燦燦」などの小椋作品を歌ってきた林部にとっては夢のコラボ。
林部「小椋さんの“もういいかい”に対する、僕の“まあだだよ”は本音です」
出会いは2018年2月の音楽イベント。小椋はその2年前、テレビで林部がデビュー曲「あいたい」を歌っているのを見て衝撃を受けていた。
小椋「一瞬だったのに“これ誰!?”ってすぐに引き込まれてね。この声は生まれ持ったもの。特に高音が薄くスーッと線を引くように伸びる。絹糸のような声の人はいるんだけど、林部君はその絹糸の幅が広い。そういう人はなかなかいない」
今回、林部のために計8曲を作詞作曲。
小椋「彼のためならぜひ、作りたいと。僕の声はもう26、7の頃の自分の声じゃない。でも、林部君の声を聴くと、あの頃の僕の声だ!って思ってね」
林部「まさか小椋さんに作っていただいてアルバムを出せるなんて…。歌を通してつながった、この出会いは僕の今後の支柱になります」
小椋は71年1月の初アルバム「青春~砂漠の少年」からちょうど50年。7年ぶりのこのオリジナル作をラストアルバムにする。
小椋「最後なんだと思うと気合が入りました。でも、発想が枯渇してるから1曲作るのに時間がかかって。最低で3日、10日かかった時も。昔はフーッと降りて来たのにね。しかも、今まで作った歌でないものでなければ創作とはいえない。その思いは今もありますから、そこは非常に苦しみます。歌作りがこんなに苦しいとは思わなかった(笑い)」
双方のアルバムに収録されるうちの一曲が「ラピスラズリの涙」。それぞれの解釈で歌っていて興味深い。
小椋「芥川龍之介の自殺をイメージし、彼の恋人だったらという思いで作りました。自分の青春時代の根っこにあるのが人生の虚(むな)しさ、寂しさで。他人から見たら理由もなく死んじゃう、自殺しちゃう、そういう瞬間が僕にありましたから…。その時の青春が僕の“底だまり”としてある。ずっと歌作りをしてきたのも、それが理由なんです。だから、そういう歌は一つ作っておきたかった」
くしくもコロナ下での発表となったことにも強い思いがある。
小椋「若い人の自殺が増えていると聞きます。歌は人を生かす力も持っていて。だから、やっぱり“生きようよ”という思いを作品には込めています。せっかく頂いた命ですから。命はいつだって生きようとしている。そのことをしっかり自覚して、やっぱり生きることだけはやってみようという思いになってくれるといいなって思います」
小椋が最終作に込めた思い。それは林部にとっても特別だ。
林部「今できる自分なりの解釈の全てを込めましたが、何よりも今のこの時期に、人生観とか命の重みを感じる歌をレコーディングできたことは僕の人生のターニングポイントになる。今後の道しるべとなる、そんなアルバムになりそうです」
全国ツアーを計画中の小椋。「今年のステージでは“小椋は死ぬけど林部智史がいる!”って皆さんに伝えたい」と言うと、林部は「プレッシャーが…」と恐縮しきり。すぐに真剣なまなざしになり「僕も歌で救えるものが絶対にあると思っています。そこに少しでも近づけるように頑張ります」と誓った。
◆小椋 佳(おぐら・けい)1944年(昭19)1月18日生まれ。東京都出身の76歳。67年東大法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)入行。本店財務サービス部長などを経て93年退職。この間に歌手活動を始め、デビュー翌年の72年に発売したアルバム「彷徨」がミリオンヒット。232週間ベスト100入りした。提供曲も布施明「シクラメンのかほり」、中村雅俊「俺たちの旅」、美空ひばり「愛燦燦」、梅沢富美男「夢芝居」など多数のヒット作がある。
◆林部 智史(はやしべ・さとし)1988年(昭63)5月7日生まれ。山形県出身の32歳。新聞販売店で働きながらESPミュージカルアカデミーを首席で卒業。15年、テレビ東京「THEカラオケ★バトル」で番組史上初の予選&決勝連続100点満点を叩き出し年間王者に。翌16年2月、シングル「あいたい」でデビュー。15万枚のヒットを記録し、日本レコード大賞新人賞に。その後も「だきしめたい」など、その曲調から“泣き歌の貴公子”の異名も。