宇崎竜童 これまでもこれからも…夫唱婦随で創作 妻・阿木燿子さんとビルボード1位獲得まで走り続ける
2021年01月17日 10:00
芸能
「髪を下ろしてくれとは言われました。年齢も年齢だし自分なりに考えて、このままでいいかなと素で出演させていただきました」
高橋監督は若い頃からの盟友で、82年の主演映画「TATOO<刺青>あり」以降、声がかかれば無条件で引き受ける。俳優として多くの実績を残してきたが、「なぜオファーを頂くのか、いまだに分からない」という。それでも、音楽とのバランスは重要視している。
「音楽の仕事はスタッフやメンバーに注文を出す側ですよね。でも、役者の仕事は真逆でオーダーされる楽しみというのかな。役は監督が作ってくださいという気持ちでお引き受けして、それをクリアできた時の喜びを感じる。そういう振り幅がないと我慢ができない体質なのかもしれません」
75年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など自身のヒット曲はもちろん、「プレイバックPart2」など山口(現三浦)百恵さんの全盛期を支えるなど阿木さんとのコンビでのヒット曲は枚挙にいとまがない。それでも音楽に関しては確固たる持論を持つ。
「日本の音楽は、今日に至るまで全て歌謡曲だと思っているんです。大人っぽい、子供っぽい、女泣かせなど細分化はされているけれど、言い方を変えると流行歌。グローバルに認められる歌謡曲が出てきたら、それがJポップ、Jロックというくくりになるかもしれない。でも、まだまだ『上を向いて歩こう』から何も変わっていない。本当にシンプルで誰でも歌える歌で、参ったという尊敬しかない」
最敬礼すると同時に高い目標を見据える。20年ほど前、テレビ番組のリポートで訪れたアフリカの電気も通っていない村で、少年が「スタンド・バイ・ミー」の一節を口ずさんでいるのを聴いたことも、その思いを強くした。
「どこで聴いたのかは分かりませんけれど、そこまでいかなければダメだなと。まだそういう曲は僕の中で生まれていないので、この先の課題です」
その大きな支えとなるのが阿木さんだ。大学1年の軽音楽部の勧誘で声を掛けた瞬間、「やっと嫁に出会えた」と直感した意中の人。3度目のデートでプロポーズする早業で、家族ぐるみの付き合いを経て25歳で結婚。以降、常に寄り添い「唯一無二の人だからね」と愛情の深さは不変。特にコロナ禍での自粛中は内助の功を再確認し、教えてもらいながら料理を始めたことを苦笑い交じりに明かす。
「彼女は仕事をしながら3食作ってくれるわけです。だからちょっと覚えようかなって。それまで僕の家事は猫ちゃんのトイレ掃除と食事、ゴミ出しくらい。だから、それくらいしないとまずいなとは思い始めました」
それに伴い、健康への意識もより増したという。「阿木には“私を見送ってから死んでください”と言われているので、元気をちゃんと持続させなければいけない。周りの同世代やちょっと上の昭和の人がどんどんいなくなっている。体が老化していくのは分かるので、なるべく無理をしない、早寝早起き、やっとそこにいき至りました」。これからも夫唱婦随で続く創作活動。ぜひとも、令和の名曲誕生を期待したい。
≪前張りなくて出演を快諾≫「痛くない死に方」は、プロデューサーからの出演オファーを受けた後に脚本が送られてきて役を知ったそうだが「キャラクターもヒストリーも、僕が知っている高橋伴明が役の中に入り込んでいた」と絶大な信頼を強調する。ただ、ラブシーンのある映画だけはNGで、これは「TATOO」で着けた前張りをはがす際、「死ぬほど痛くて、あんなにつらいものはない」という経験によるもの。今回は在宅医療を受ける設定で「ベッドのシーンはあるけれど、死ぬためのベッドですから、それでお引き受けしました」と笑い飛ばした。
◆宇崎 竜童(うざき・りゅうどう)1946年(昭21)2月23日生まれ、東京都出身の74歳。73年「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「スモーキン’ブギ」など数々のヒット曲を生み出す。作曲家としても多数のアーティストへ楽曲を提供。78年「曽根崎心中」で映画初主演。19年、阿木さんとともに岩谷時子賞特別賞を受賞。