ラジオパーソナリティーとして活躍、くず哲也さん死去 急性骨髄性白血病で
2021年02月03日 05:30
芸能
長男の野村暦土氏によると、「亡くなる2、3日前まで“酒が飲みたい、タバコが吸いたい”などとたわいもない話をしていた。最期は家族全員にみとられ、苦しむ様子もなく眠るように旅立った」という。
1972年に武蔵野美術大産業デザイン科を卒業後、入った広告会社を3カ月で退社。定職に就かず過ごしていた73年にニッポン放送の名物プロデューサー・上野修氏に強引に誘われ「ザ・パンチパンチパンチ」のパーソナリティーとなった。
その後はニッポン放送「くず哲也の日曜はダメよ」、TBSラジオ「くず哲のヤンヤン大学」、ラジオ日本「くず哲也のオトナの情報マガジン」などで売れっ子に。14年9月を最後にラジオ、テレビからは遠ざかり、都内の自宅でカウンターバーを営んだり、映画評を書くなどしていた。