「麒麟がくる」“道三”本木雅弘 最終回「息を呑んで見守りたい」光秀の“自己矛盾”現代に刺さるテーマ
2021年02月06日 05:00
芸能
本木が演じたのは、光秀の美濃時代の主君・斎藤道三。一介の油売りだった亡き父とともに親子2代で美濃の国盗りを狙う戦国下剋上の代名詞的存在。天才的な軍事力と狡猾な政治力を持ち、金銭への執着も強い。今作においては、出家前の「斎藤利政」時代から描かれた。22年ぶりの大河ドラマ出演となった本木が圧倒的な存在感により新たな道三像を生み出し、初回から大反響。第17話「長良川の対決」(昨年5月10日)で長男・斎藤高政(義龍、伊藤英明)に討たれ、インターネット上には「道三ロス」が広がった。
本木は昨年、出番を終えてから台本をもらっておらず、物語の結末を知らない。最終回は戦国最大のミステリーにして今作最大のクライマックス「本能寺の変」(天正10年、1582年)を描くが「『月にのぼる者(第41回)』では欲をかいた者の行く末を案じ、『闇に光る樹(第43回)』では信長をここまで育ててしまったが、(月にまで届く)その木を切り落とすことは自らにも斧を振りかざすのと同じことになるという(光秀の)自己矛盾の頂点を描いていました。光秀としてはここで愛憎を超えた究極の選択をしなければなりませんが、その決断が一体どの瞬間だったのか。『本能寺の変』については諸説ありますが、このドラマの中で、光秀の最後の最後の発火点がどこだったのか。最終回を、私としても道三としても、息を呑んで見守りたいと思います」
麒麟は、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣。本木は「池端先生もおっしゃっていましたが、矛盾や悩みを抱えることは、戦国も現代と同じ。現代でもさまざまな価値観が共存し、その中でどのようにバランスを取り、個々と向き合っていくのかが重要です。それを44回かけて、光秀を通して探っていく物語なのだと。誰もが平和を望み、守るために戦わなければならないという、自己矛盾を抱き続けることが生きているということですから、現代の私たちにもとても刺さる内容でした」と今作に普遍的なテーマを見いだす。
「特に現在は、誰もがいかんともしがたい状況の中に放り込まれていますし、人間同士の深い信頼が揺らいでいる時代です。加えて作品としても様々な受難があり、まさに戦国さながらの撮影状況でしたよね。ですが、だからこそドラマとしても真実味が増して、きっと長谷川さんにとっても、人知れぬご苦労があった分、背負い甲斐のある主役だったのではないかと思います」と振り返り、座長・長谷川を称賛。「もはや、いつ何処に『麒麟がくる』かどうかの問題ではなく、戦のない平らかな世を望み続け、葛藤し続けた光秀の心身の中にこそ、麒麟が宿っているのだと思います」と締めくくった。