「麒麟がくる」長谷川博己が語る本能寺の変「自分をも殺す感覚」12月に先に撮影 饗応シーンなどに好影響

2021年02月08日 05:10

芸能

「麒麟がくる」長谷川博己が語る本能寺の変「自分をも殺す感覚」12月に先に撮影 饗応シーンなどに好影響
大河ドラマ「麒麟がくる」最終回(第44話)。炎上する本能寺を目の当たりにし、涙を浮かべる明智光秀(長谷川博己)(C)NHK Photo By 提供写真
 俳優の長谷川博己(43)が主演を務めたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)は7日、15分拡大版で最終回(第44話)を迎え、完結した。裏切り者のイメージから平らかな世を求め続けた新たな明智光秀像をつくり上げた長谷川が番組公式サイトを通じ、戦国最大のミステリーにして今作最大のクライマックス「本能寺の変」(天正10年、1582年)の撮影を振り返り、胸中を明かした。
 <※以下、ネタバレ有>

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた名手・池端俊策氏(75)のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生を描いた。昨年1月19日にスタート。新型コロナウイルスの影響により、途中、約3カ月の撮影&放送休止を挟み、1~12月の暦年制としては史上初の越年放送となった。

 「麒麟」は、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣。最終回は、宿敵・武田家を打ち滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀(長谷川)は信長(染谷将太)から理不尽な叱責を受け、饗応役(きょうおうやく)の任を解かれる。追い打ちをかけるように信長は、光秀と縁深い四国の長宗我部征伐に相談もなしに乗り出すと告げる。「殿は戦の度に変わってしまった」と、その行き過ぎた態度をいさめる光秀に、「己を変えたのは戦ではなく光秀自身だ」と信長は冷たく言い放つ。そしてついに、ある究極の命令を光秀に突き付ける…という展開。

 究極の命令とは、将軍・足利義昭(滝藤賢一)殺害。光秀が一人、丹波の愛宕山に入ると、帰蝶(川口春奈)の言葉「毒を盛る、信長様に。今の信長様をつくったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が独り歩きを始められ、思わぬ仕儀となった。よろず、つくった者がその始末を成す他あるまい。違うか」などが去来し、主君を討つことを決断。丹波・亀山城。家臣・藤田伝吾(徳重聡)、明智左馬助(間宮祥太朗)、斎藤利三(須賀貴匡)を前に「我が敵は、本能寺にある。その名は、織田信長と申す。信長様を討ち、心ある者と手を携え、世を平らかにしていく。それが我が役目と思い至った」――。

 6月2日早朝。信長は光秀に襲撃されたと分かると「十兵衛か」と第一声。左肩に矢を受け、奥の間に戻ると「十兵衛。そなたが。そうか」と笑いと涙がこみ上げ「十兵衛かぁ!」と語気を強めた。血を舐め「であれば、是非もなし」――。最期は「ここに火をつけよ。わしの首は誰にも渡さぬ。火をつけよ。わしを焼き尽くせ」と側近・森蘭丸(板垣瑞生)に指示し、息絶えた。

 光秀55歳、信長49歳。尾張の海辺で2人が出会ってから約35年。“大きな国”を目指し、二人三脚で歩んできた。炎上する本能寺を前に、光秀の脳裏には信長との思い出がよみがえった。しかし、天下を獲った光秀の前に、羽柴秀吉(佐々木蔵之介)が立ちはだかり、光秀は敗れた。

 長谷川は「光秀にとって信長は自分の分身でもあります。ただ討つという単純な感覚ではなく、自分自身をも殺すという感覚でした。本能寺の前で火が上がるのを見つめながら、走馬灯のように色々な記憶がよみがえり、非常に複雑で多様な感情が浮かび上がりました」と述懐。

 オンエアに使われたのが一部だが、約10分の長回し。「信長との出会い、志同じくして笑い合ったこと、食い違いからの口論、関係性の修復できない苦しさなど、様々な思いが湧き上がり、気持ちが抑え切れず、叫んだところなどもありました。自分の中にあるすべての毒や暗部を涙とともに洗い流していくような感覚でした。光秀は信長を討つことにより、浄化されたのかもしれません」と吐露した。

 ロケは昨年12月に行われ「その後に本能寺の変までの光秀の道程がセットで撮影されました」。順撮りにはならなかったものの「終着地点を先に撮ることによって、そこまでの心情の変化が感じやすくなりました」とし、鬼の形相で信長に対峙した「43回のラスト饗応のシーンや大樹を切る夢のシーンも、それを先に撮っていなければ、生まれなかったものもあったかもしれません」と振り返った。
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