「THE ALFEE」高見沢俊彦 家族に「守られてきた自分の人生を痛感」、父の言葉に「きますね」

2021年02月23日 01:32

芸能

「THE ALFEE」高見沢俊彦 家族に「守られてきた自分の人生を痛感」、父の言葉に「きますね」
「THE ALFEE」の高見沢俊彦 Photo By スポニチ
 「THE ALFEE」の高見沢俊彦(66)が22日放送のNHK「ファミリーヒストリー」に出演。家族の愛情に「父や母や兄や、そういったものに守られてきた自分の人生を、そこをすごく痛感しました」としんみりしていた。
 高見沢は「いちばん大人の世界を知るカギでしたよね、兄はね。やはり僕が小学校の時もう大学生でしたから。はやっているものは、やっぱり兄も敏感でしたから。得に音楽なんかはね。ギターも持っていましたし、兄の影響で僕はギターを弾くようになりましたから」と語り、8歳上の兄・惇一さん影響で音楽に目覚めたことを語った。

 明治学院高校に進学し、ロックの世界にのめり込んでいく。後には校長も務めた中学校の国語の教諭をしていた父・栄さんはそんな息子を心配し、同僚には勉強をしないとこぼし、将来を心配することもあったと言うが、高見沢本人は「おだやかな父ですから勉強しろって言われたことなかったんです」と語った。

 その後明治学院大に進学した高見沢は、桜井賢(66)坂崎幸之助(66)が作っていたフォークグループに加入。74年に後にはヒットメーカーとなる松本隆氏作詞、筒美京平氏作曲の「夏しぐれ」でデビューするが、全く売れず翌年にはレコード会社との契約もなくなった。高見沢は「大学生の普通のアマチュアバンドでしたから、オリジナル曲ではなかったんですよね。そこがやっぱり最初のALFEEの悲劇の始まりですね。オリジナリティーのないフォークグループっていうのは、ほぼやっぱりオリジナリティーを持っているグループから見ると全然能力のないグループに見られますよね。そこから猛烈に自分で詞も曲も作るようになりましたね」と明かした。

 実家を出て、原宿の風呂なし4畳半の部屋で生活を始めるが、父から「お前の言葉は語彙が少ないと、乏しいからこれでも読んでおけって言ってね、国語大辞典かなんかをもらった記憶が」と話し「これもらってもしようがないんだけどと思ったけど…こんな分厚いヤツですよ」笑った。また、母・久美子さんも毎週のように洗濯物を取りに行って、洗って戻すというサポートをしてくれたという。

 その後、79年に新たなレコード会社と契約し再デビューを果たす。ライブ活動でファンを増やし、83年には初の日本武道館コンサートを開催。その時に武道館を訪れた父・栄さんの日記には「アルフィーの武道館コンサート 久美子と一緒に出かけた 雨降らず 事故なし もりあがり盛大 大成功」とつづられていた。

 その年、「メリーアン」を発表し、NHKの紅白歌合戦にも出場することになり、両親は知人にうれしそうに語ったということが明かされた。息子の活躍を見届け07年に父・栄さんは93歳で死去。高見沢が「髪を切れっていまだに言われる」と語る母・久美子さんは現在99歳。久美子さんが12年に書きつづったノートには「俊彦は親に反して畑違いの道をえらび10年間とても苦労しました 家にもかえらずどれ位心配したか 本人はどうだったか でも夢を持ちつづけて三人でよくここ迄 テレビに映り何とか人に知られる様になり お父さんとほっとした次第です でも知らない世界へ入り どんなに苦労もあったろうと想像できます よく頑張ったね これからも自分の道へと真面目に誠実にあゆんで下さいね」と記されている。

 高見沢も初めて見るという貴重なノート。「ちょっと…きますね。そうですね。ああいうふうに思っていてくれていたんだってこと。薄々は分かりますけどね。付きつけられると、きますね。やっぱり感謝ですね。“もりあがり盛大 大成功”その一言でちょっとなんかすごくうれしくなった。もっと話をしたかったですね」と語り、「父や母や兄や、そういったものに守られてきた自分の人生を、そこをすごく痛感しました」としみじみと語った。
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