津波で妹を失った生島ヒロシが語る 後悔しないように生きることこそ「残された者の務め」
2021年03月02日 05:30
芸能
震災の3日後、ラジオ番組の生放送があった。「つらかったけど、休むわけにはいかなかった。放送途中にリスナーから“生島さんの声に元気をもらっている。踏ん張って”と激励のメールが山ほど届いて。あんなに泣いたのは初めてかも。悲しい思いをしている自分だからこそ、伝えられることがあると気持ちを切り替えました」。声を掛けてくれた和田アキ子(70)とともに、震災で両親を亡くした子供を支援する基金を設立。募金のため自ら街頭に立った。これまでに12人の遺児が高校を卒業し、あと一人に今も支援を続けている。
喜代美さんの遺体は震災半年後の9月、消息が分からないまま執り行うことになった葬儀当日に発見された。「妹の気配りだったのかな。とにかくホッとしました」。義理の弟にあたる、喜代美さんの夫は今も見つかっていない。
あれから10年。「震災以降は“今日が最後になっても悔いが残らないように”という思いを胸に無我夢中で生きてきました。それが残された者の務めだから」。気仙沼の街も奇麗に生まれ変わった。「震災直後に行った時は魚の腐った臭いが漂い、街はがれきの山。もう復活できないと思った。早く新型コロナウイルスが収束して、以前の活気やにぎわいが戻ってきてほしい」
ただ日本は3・11以降も各地で地震が発生し、やむことがない。「東北で起きたことは人ごとではない。日本は“覚悟の時”に入っている。いざという時の知識、どんなことがあっても生き抜いていくという強い気持ちを持って日々暮らしていかなければいけない」。震災でかけがえのない家族を失った者としての思いが言葉にこもった。(小枝 功一)
◆生島 ヒロシ(いくしま・ひろし)1950年(昭25)12月24日生まれ、宮城県出身の70歳。米カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒業後、76年にTBS入社。89年に退社し、生島企画室を設立。TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・一直線」(月~金曜前5・00)は、98年から続く長寿番組。