田原俊彦 新聞配達、ぶどう園の手伝い…幼少期の苦しい生活振り返る「おふくろに楽させたい」
2021年03月02日 15:31
芸能
父は田原が小学校に上がってすぐに亡くなり、一家は神奈川県横須賀市から甲府に引っ越した。姉2人と妹1人の4人きょうだいで、母は農協で事務をする傍ら、夜にはアルバイトをして家族を養っていたとし、「親父がなくなっておふくろは本当に苦労したと思います。現に僕はおふくろのがんばりを見ていたんで、おふくろに楽させたいというのはありました」と振り返った。
当初姉2人は父の実家に預けられるなど、「生活は厳しかったですね」といい、田原も「親戚の家のぶどう園の手伝いを夏休みとかにやったりとか、新聞配達したりとか」と働いていたという。自転車での新聞配達は「寒いんですよ甲府が。盆地ですから。朝晩冷えるんできつかったですけどね。田舎なんで一軒一軒が離れているんですよ。都会みたいに続いて配れないから。畑があったりして犬に追いかけられたりとか。大変な目にあったりなんかしたけど、慣れればどうってことなかったですけど」と語った。そんな母のために芸能界で活躍するようになると父の墓を、26歳の時には家を建てたとした。
母の性格については「めっちゃ明るいですね」と田原。「僕がこうやって元気でいられるのもそうなんですけど、きょうだいもみな健康に暮らしてますし、おふくろの楽天的な、いつも笑顔で大笑いして、そのDNAが僕にだいぶ入っているので感謝です」としみじみと話した。