泉ピン子 橋田寿賀子さんの最期を看取る「私がお化粧をしてあげて、旅立ちました」
2021年04月05日 17:31
芸能
ピン子によると、橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」が普段からの口癖だった。橋田さんが「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えていたことを振り返り、ピン子は「ですから最後は“千の風になって”をかけて送りました」と、秋川雅史のヒット曲を流したという。
「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました」と回想。「私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います」と心境を明かした。
橋田さんは、89年に死去した夫で元TBSプロデューサーの岩崎嘉一氏が肺腺がんを告知された頃から別荘地として知られる「熱海自然郷」で暮らしていた。