神田川俊郎さん死去 81歳、「料理の鉄人」などで人気 コロナ入院中、一時回復も急変
2021年04月26日 05:30
芸能
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市内の病院に救急搬送後、検査を受けて新型コロナウイルスに感染していたことを確認。「当初は会話もできて重症ではなかった」という。入院して24日には一時的に回復の兆しを見せたが容体が急変。25日午前4時ごろ、帰らぬ人となった。
神田川さんは3月まで在阪局の番組収録に参加するなど精力的に活動。大阪・北新地にある自身の店「神田川本店」にもたびたび顔を見せていた。
中学卒業後、料亭「なだ万」などで修業を積み1965年に「神田川本店」を開店。素材やジャンルにとらわれない「新日本料理」を提唱。左手で鯛(たい)を持ち上げたまま右手に握った包丁を一閃(いっせん)する「鯛の空中落とし」など華麗な包丁さばきで客を魅了した。
一方、日本テレビ系「2時のワイドショー」の人気コーナーだった「神田川料理道場」やフジテレビの人気料理バラエティー「料理の鉄人」などテレビにも多く出演。軽妙なトークも相まって全国に知られるスター料理人となった。「花に水、人に愛、料理は心や」「ちょっとの工夫でこのうまさ」の決めぜりふでも人気を博した。
スポーツ界にも人脈が広く、大相撲の大阪場所があると毎年15日間、砂かぶりで観戦するほどの相撲通。自身の店にも人気力士がよく来ていた。横綱白鵬の大阪後援会「白金(プラチナ)会」の相談役を務め、日馬富士を応援していた。
「関西料理界のドン」として全国的な知名度を誇り、全日本調理師協会の名誉会長を務め後進の育成にも尽力した。
◆神田川 俊郎(かんだがわ・としろう)本名大竹俊郎。1939年(昭14)11月15日生まれ、京都市出身。中学卒業後、料理人を志し17歳で大阪へ。料亭「なだ万」での修業を経て、61年に創作おでん店「ふく柳」を開店。65年に26歳の若さで大阪に「神田川本店」を開店。モットーは「味はもちろん、料理人は包丁さばきでもお客さんを楽しませなあきません」。日本調理師連合会最高顧問。
《浅野ゆう子、インスタで「感謝」》女優浅野ゆう子(60)はこの日、自身のインスタグラムを通じて20年来の親交があった神田川さんを追悼した。関西を訪れる時には必ず神田川本店に立ち寄っており「先日も、しゃぶしゃぶのセットを送るからねと、ご連絡をいただいたばかりだったのに…」とショックを隠せない様子。ツーショット写真を添えて「今はただ、20年間の感謝をお伝えすることしかできません。先生…本当に本当にありがとうございました」と悼んだ。
《プロデュース弁当監修、西武・辻監督「驚いている」》神田川さんは今春、西武・辻発彦監督がプロデュースした「辻発彦御膳」(税込み4600円)と「辻発彦弁当」(同2400円)を監修。本拠地のメットライフドームで販売されている。スポニチ本紙の電話取材に応じた辻監督は「お弁当という形でコラボさせていただいた直後のことで、とにかく驚いています」と第一声。現役時代には、当時の森祇晶監督に連れられて何度も神田川さんの店を訪れており「オフにでもお会いできる機会があればと楽しみにしていたんですが」と残念そうに話した。
▼浜村淳(日本テレビ系「2時のワイドショー」で共演)「料理はお皿に絵を描くように盛り付けることが肝心」というのが信念で石原裕次郎さんや西川きよしさんらセレブを常連客に持っておられた。全国に名をはせ、当時は「神田川」で食事するのがステータス。うちまで料理を作りに来てくれたのはいい思い出です。関西の名物料理人がまた一人消え寂しい。
▼杉浦太陽(俳優、NHK「キッチンが走る!」で共演)番組でご一緒させていただき、人と人との触れ合いがおいしい料理を生み出すこと、「料理は心」というものを学ばせていただきました。日本料理界への多大なる功績、その信念がお弟子さんたちにも受け継がれているのも目の当たりにしました。本当に残念でなりません。