別れ際にさりげなく渡されたかわいい「入手困難な幻のラムネ」 そんな人だった片岡秀太郎さん

2021年05月28日 08:00

芸能

別れ際にさりげなく渡されたかわいい「入手困難な幻のラムネ」 そんな人だった片岡秀太郎さん
人間国宝に認定され、大阪市内で会見し、喜びを語った時の片岡秀太郎さん=2019年7月
 小柄で物腰は柔らかく、晩年でも舞台に出てくるとポッと花が咲いたような、上品な女形だった。
 23日に亡くなった片岡秀太郎さんに最後に会ったのは昨年夏。指導し続けた「松竹・上方歌舞伎塾」の1期生らが立ち上げた「晴(そら)の会」公演初日の席だった。新型コロナウイルス感染症の影響をモロに受け、歌舞伎界は予定していた公演を中止、変更するなどしていたため、秀太郎さんも舞台に立つことがなく「気がめいるね」と相当参っていたようだった。それでも「ひたすら自転車こぎしてますよ。役者は足腰が大事だからね」と笑っていた。

 上方歌舞伎の人気が衰退した昭和30年代後半は、秀太郎さんにとって歌舞伎俳優として「これから」という時期だった。多くの仲間が東京に移住する中、秀太郎さんは関西に住み続け「上方」にこだわった。関西で歌舞伎がかかるのが年末、京都南座での顔見世だけという年もあったそうで、そんな時は「もう芝居ができないかも、と千秋楽が来るのが怖かった」という。

 そんな不遇の時も歯を食いしばり、芸を磨き、2019年に人間国宝に認定された。その時の涙には、こちらも思わずもらい泣きしそうになった。「母が“あなたはいろんな賞に縁遠いと思うけれど、人間国宝にだけはなってほしいねえ”と言って死にました。“お母さん、私アカンと思ってましたけど(人間国宝)もらえました”って泣きました」

 忘れられないのは1999年、自宅に強盗が入った時だ。確か大阪・道頓堀にあった中座のロビーで会見したのだが、犯人に手足を縛られ恐ろしい思いをしたことを、身ぶり手ぶりで再現してくれ、まるでお芝居を見ているようだった。

 阪神タイガースのファンで、鳥谷敬内野手の退団を「あんな形で出すなんて…」と怒っていた。60歳を過ぎてから始めたブログは10年以上。そこでも上方歌舞伎への思いをつづっていた。

 スポニチで特集が掲載されることも、そのブログで告知してくれた。しかも「掲載日を間違えました」「インタビュアーの漢字を間違えていました」とご丁寧に何回も訂正してくれるほど。熱血漢でおちゃめで新しいもの好き。そう言えば最後にお話しした日、別れ際にさりげなく、かわいいラムネを頂いた。めちゃくちゃおいしくて、調べたら「入手困難な幻のラムネ」。そんな人だった。ありがとうございました。合掌。(演劇担当・土谷 美樹)
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