別れ際にさりげなく渡されたかわいい「入手困難な幻のラムネ」 そんな人だった片岡秀太郎さん
2021年05月28日 08:00
芸能
上方歌舞伎の人気が衰退した昭和30年代後半は、秀太郎さんにとって歌舞伎俳優として「これから」という時期だった。多くの仲間が東京に移住する中、秀太郎さんは関西に住み続け「上方」にこだわった。関西で歌舞伎がかかるのが年末、京都南座での顔見世だけという年もあったそうで、そんな時は「もう芝居ができないかも、と千秋楽が来るのが怖かった」という。
そんな不遇の時も歯を食いしばり、芸を磨き、2019年に人間国宝に認定された。その時の涙には、こちらも思わずもらい泣きしそうになった。「母が“あなたはいろんな賞に縁遠いと思うけれど、人間国宝にだけはなってほしいねえ”と言って死にました。“お母さん、私アカンと思ってましたけど(人間国宝)もらえました”って泣きました」
忘れられないのは1999年、自宅に強盗が入った時だ。確か大阪・道頓堀にあった中座のロビーで会見したのだが、犯人に手足を縛られ恐ろしい思いをしたことを、身ぶり手ぶりで再現してくれ、まるでお芝居を見ているようだった。
阪神タイガースのファンで、鳥谷敬内野手の退団を「あんな形で出すなんて…」と怒っていた。60歳を過ぎてから始めたブログは10年以上。そこでも上方歌舞伎への思いをつづっていた。
スポニチで特集が掲載されることも、そのブログで告知してくれた。しかも「掲載日を間違えました」「インタビュアーの漢字を間違えていました」とご丁寧に何回も訂正してくれるほど。熱血漢でおちゃめで新しいもの好き。そう言えば最後にお話しした日、別れ際にさりげなく、かわいいラムネを頂いた。めちゃくちゃおいしくて、調べたら「入手困難な幻のラムネ」。そんな人だった。ありがとうございました。合掌。(演劇担当・土谷 美樹)