数多く共演した二枚目スターを稔侍がしのぶ

2021年06月05日 14:00

芸能

数多く共演した二枚目スターを稔侍がしのぶ
田村正和さん(2007年撮影) Photo By スポニチ
 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】俳優の田村正和が亡くなった。享年77。心不全のため息を引き取ったのは4月3日だったが、公になったのは45日後の5月18日。プライベートをベールに包んだ人らしく、その死もしばし伏せられたのはいかにも正和さまらしい。
 父の阪東妻三郎は「ばんつま」の愛称で親しまれた名優。1925年公開のサイレント映画「雄呂血」(監督二川文太郎)や稲垣浩監督の43年版「無法松の一生」などが有名だ。「無法松…」といえば、園井恵子も忘れられない。陸軍の吉岡大尉の夫人よし子を演じていた。移動劇団「桜隊」が活動拠点としていた広島で原爆被害に遭い、45年8月21日に死去した。原爆が投下された6日に32歳になったばかり。はかなく散ってしまったが、美しい人だった。佳人薄命の4文字が胸にしみる。

 田村は「ばんつま」の三男として生を受けた。長男の高広、四男の亮(74)も俳優の道に進み、田村3兄弟として知られた。それぞれ持ち味が違い、正和はニヒルな二枚目からコミカルな役まで幅広くこなした。

 代表作はテレビ時代劇の「眠狂四郎」と「古畑任三郎」になるだろうか。とりわけ難解なトリックを解いていき、ネチネチと真犯人を追い詰める刑事を演じた「古畑任三郎」には大いにはまった。三谷幸喜(59)の脚本が秀逸で、毎回犯人役で登場する大物ゲストを楽しみにしていた。

 1994年5月24日放送のエピソード7「殺人リハーサル」には小林稔侍(80)が登場。撮影所の閉鎖に動くオーナーを斬り殺す時代劇俳優を渋く演じた。実は小林、「任三郎」以外にも数多く田村と共演している。

 「男と女 ニューヨーク恋物語2」(91年)「パパとなっちゃん」(91年)ほか、5月23日に追悼特別番組としてテレビ朝日が放送した「松本清張 疑惑」(09年)にも共にクレジットされている。

 小林はスポニチ本紙の取材に「ニューヨークにも一緒に行きましたよ。正和ちゃんは真っ青な顔をしてでも、リハーサルの時からセリフを全部覚えてくる。僕は本番でも6割か7割しか覚えていない。スタッフさんによく“子役とネンジさんには早く台本を渡して”とハッパをかけていた」と振り返り、「心配させてゴメンネ。思い出いっぱいだよ。アリガトウ」としのんだ。

 若き日、こんなこともあったそうだ。小林がまだエキストラに毛の生えたような“仕出し”と呼ばれていた時代。練馬区の東映東京撮影所から朝、ロケ場所に向かって出発する乗り合いバスに乗っていた。バスが動き出してしばらくすると、大泉学園駅から撮影所に向かう道を必死で走る田村の姿が窓から見えたという。

 「寝坊しちゃったんでしょう。正和ちゃんはもちろん、僕らと違って役付き。別の車での移動だったのでしょうが、集合時間に遅れそうで慌てたんだろうね」

 田村は1969年に2本、東映作品に出演している。5月14日に公開された関川秀雄監督の「超高層のあけぼの」と、同31日に封切られた菅原文太主演の「現代やくざ 与太者仁義」(監督降旗康男)だ。

 霞が関ビルの建設を描いた「超高層のあけぼの」に田村は「島村オペレーター」役で登場し、小林も「建設作業員」で顔を出しているから、きっとこの撮影時のエピソードに違いない。小林も懐かしそうに振り返った。 (敬称略) 
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