尾上右近 歌舞伎&清元“二刀流”実現は勘三郎の一言から…「じゃあ舞台に上げてみよう」
2021年07月19日 20:15
芸能
とはいえ、父は清元節の清元延寿太夫。世襲という高い壁がはだかっていたが、そこで役者としての道を開いてくれたのが、12年に死去した中村勘三郎さんだったという。「『(右近が)歌舞伎が好きだ』と思って下さって、『じゃあ舞台に上げてみよう』というふうに(言ってくれた)。うちの父と曾祖父に憧れたのが出発点ではあるけど、役者として初めて舞台に立たせてもらったのは、勘三郎さんのおかげですね」と振り返った。
歌舞伎役者とうたい手の“二刀流”は、400年の歴史で史上初。右近は「周りの先輩や大人たちから『清元はどうするんだ?』って言われた時に、『役者をやらせてもらうっていうことは、清元をできなくなる。二つに一つの世界』という認識もなかった」と、前例のない二足のわらじを目指すことになった。
そんな中、引き取り手になってくれたのが、師匠の七代目尾上菊五郎だった。「『もし役者としてやっていくつもりがあるなら、僕が面倒を見るよ』というふうにお声掛け下さって、僕が尾上右近になって役者をさせていただけることを決定づけた」。18年には師匠から清元としての活動も許可され、清元栄寿太夫としてうたい手でも舞台を踏んだ。
師匠が自分について、客前で話したことを今でも覚えているという。「『最初に清元をやると相談された時はどうかな?と思ったけれど、今はそれこそ大谷翔平、二刀流だったり、二筋道を歩む人が認められてもいい世の中だと思う。そういう意味では、僕が見る限り、役者として一生懸命やっているのは認めることができるから、清元も継いで栄寿太夫としてやっていいと、僕は判断をしました』と。僕はその時、初めておじさん(師匠)の本当の心の中をうかがったんで、こういうことでいつも僕を見てくださっているんだと」。深い懐で自身の挑戦心に懸けてくれた師匠に、「どうやったらこんなに大きい存在になれるだろう?と、いつも思っていますね」と敬意を示していた。