自転車オムニアム銀・梶原悠未「簡単な道じゃなかった」母と二人三脚で歩んだ900日間に密着

2021年08月21日 10:00

芸能

自転車オムニアム銀・梶原悠未「簡単な道じゃなかった」母と二人三脚で歩んだ900日間に密着
銀メダルを手に笑顔の梶原悠未(C)TBS Photo By 提供写真
 東京五輪の自転車トラック女子オムニアムで銀メダルを獲得した梶原悠未(24=筑波大大学院)が21日放送のTBS「バース・デイ」(土曜後5・00)に出演。番組は母・有里さんとの二人三脚で自転車競技の日本女子初となる銀メダルを獲得するまでの900日間に密着した。
 「母と毎日本当に吐くくらい過酷なトレーニングに取り組んできたので、簡単な道じゃなかった」

 銀メダルを獲得後に涙ながらに語った梶原。この快挙の3週間前、特別に取材が許された同番組。埼玉県の自宅を離れて五輪会場の伊豆で2人暮らしをしている梶原と母・有里さんのもとを訪ねた。大会を前にしても梶原は母・有里さんから1年間言われ続けた「平常心」という言葉のおかげで緊張はしていなかった。梶原は「散々人生変えるって思ってきてるから8月8日で」と、本番を待ちわびていた。

 自転車競技では170センチを超える海外選手が多い中、梶原の身長は155センチ。二輪の格闘技と言われ、接触や転倒は日常茶飯事。体格で劣る梶原がなぜ世界と対等に戦えるのか。その秘密は「太もも」にある。サイズは女性のウエスト程もある61センチ。体重の倍以上あるバーベルを使いスクワットで鍛え上げた。その重さは、なんと120キロだ。こうして作り上げた太ももから生み出される爆発的なスピードは最高時速60キロを超える。この驚異のスピードを武器に世界のライバルを圧倒している。

 梶原の練習場所は競技場のトラックではなく一般道。また、チームに所属せず、練習相手やコーチもいないという異例の環境。高校時代に自転車部の強豪大学から誘いを受けたが、「自分に合っている環境がないなと思った」。結局、自転車競技部のない筑波大学へと進学した。大学入学以降、梶原は1人で練習に取り組んできた。その中で唯一のサポート役が母の有里さんだった。梶原から「どうしてもサポートしてほしい」と頼まれた母・有里さんは毎日、埼玉の自宅からつくばまで通い、娘のサポートを行った。

 東京五輪まで残り2年と迫ったところで、梶原は五輪本番会場の伊豆へ引っ越した。母・有里さんも娘のサポートのために実家を離れて同居することを決めた。全ては東京五輪でメダルを獲るため。本番で使われるバンクに15分と近く、本番を想定した練習を頻繁に行える。また伊豆は山に囲まれており、走り込みに適した坂道が多いことも引っ越しの決め手だった。

 万全の準備をして迎えた東京五輪。1種目目の「スクラッチレース」ではラスト2周で7人を巻き込む大クラッシュが起こったが、間一髪逃れた梶原は2位。続く2種目目を終えた時点でトップと6ポイント差の総合3位と好位置につけた。3種目目の2周ごとに最下位が脱落する「エリミネイションレース」では何度も脱落しかけたが、驚異の粘りで最後まで残り、総合2位。トップとは2ポイント差で逆転金メダルをかけた最終レースに臨んだ。だが、ラスト9周というところで前の選手と接触し落車。それでもレースに復帰し、最後まで走り抜いた梶原は銀メダルを獲得した。

 レース後、梶原は客席の母・有里さんの元へ真っ先に向かった。「一番近くで私の母が毎日練習から生活までサポートしてくれて、一緒に頑張ってきたので、メダルを獲れてよかった」と喜びを語った。それでも「優勝を目標にここまで取り組んできたので、凄く凄く悔しい」と満足はしていなかった。翌日、選手村を出た梶原は「次は金です」と力強く宣言。そして「もっともっと険しい道になるかもしれないですけど、その度にまた2人で乗り越えていけたらいいなと思います」。梶原は母と二人三脚でパリ五輪での金メダルを目指す戦いが始まった。

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