乙武洋匡氏 始まりは公営バスへの抗議 ジョージア会長の認知度上昇への願い
2021年08月29日 05:30
芸能
ジョージアでパラリンピック委員会が設立されたのも2003年と決して早くはなかったが、そこからは長足の進歩を遂げてきた。設立から5年後の2008年には初めてパラリンピックに選手を派遣。今大会には13人の選手を送り出すまでになった。
「これまでは障がい者問題を語ること自体がタブー視されている風潮がありましたが、近年になってようやく解決すべき社会課題なのだと認識されるようになりました」
障がい者に対する人々の意識の変化とともにパラスポーツの認知度も上がってきている。
「今大会、初めて公営放送でテレビ中継されるようになったんです」
イオナタミシュビリ氏はそう声を弾ませるが、ジョージアにとって今大会初のメダル獲得となった車いすフェンシングは中継がなかったという。
「今後はもっと放送される競技数を増やしていきたいですね」
日本だけでなく、世界中でパラスポーツが盛り上がることを願っている。
◇乙武 洋匡(おとたけ・ひろただ)1976年(昭51)4月6日生まれ、東京都出身の45歳。「先天性四肢切断」の障がいで幼少時から電動車椅子で生活。早大在学中の98年に「五体不満足」を発表。卒業後はスポーツライターとして活躍した。