元阪神・横田慎太郎氏 「奇跡のバックホーム」の裏にあった思いに再現ドラマなどで迫る
2021年09月04日 10:00
芸能
当時の阪神監督だった金本知憲氏は「神様が最高のプレゼントをしたのかなと」。横田氏も「今でも鳥肌が立つ。本当に神様が(背中を)押してくれたんじゃないか」と振り返る。
横田氏は13年にドラフト2位で阪神に入団し、将来の4番候補として期待された。プロ3年目には開幕1軍の座をつかむなど順調にスター街道を歩んでいた。だが、定位置奪取を目指した4年目に悲劇が襲った。春季キャンプで簡単なフライをつかみ損ねて捕れない。
横田氏は、この異変に「自分の目じゃない」と感じていた。視界には左から黒いラインが現れ、全体がぼやけた。「目が疲れている」と深刻に考えていなかったが、眼科の医師に症状を伝えると予想外の言葉が返ってきた。
「脳外科の先生を紹介しますので、すぐ行ってください」
横田氏は困惑しながらも紹介された大学病院へ行き、MRIを受けた。診察の結果は「脳腫瘍」。さらに医師からは「野球のことはいったん忘れて下さい」と告げられた。横田氏は「とにかくパニックになりました」と大好きな野球ができないことにショックを隠せなかった。
非情の宣告に1人で抱えられず家族に病状を伝えた。そして脳腫瘍と宣告された8日後に手術が決まった。両親が「命だけは救ってください」とお願いする中、横田氏は「必ずもう一度『野球』ができるように神経は一本も傷つけないようにしてください」と何度も頭を下げていた。
18時間に及ぶ腫瘍の摘出手術は成功。だが、手術直後に目を開けても真っ暗で見えず、後遺症が残った。そんな息子を支えるため、母は仕事を辞めて、病室に寝泊りしながら24時間態勢でサポート。また、横田氏は復帰へ父とゴムボールでのキャッチボールから始まった。支え、励ましてくれる両親のためにも必ずグラウンドに戻る。その強い思い出抗がん剤治療にも耐えた。そして12月にグラウンドに戻ってきた横田氏。しかし、懸命のリハビリも目の症状だけは回復しなかった。
引退を決意した横田氏。球団は育成選手としては異例の引退試合を用意した。目の状態が戻らず打席に立つことはなかったが、8回から中堅の守備で3年ぶりの公式戦出場。そして打球が見えづらい中で見せた「奇跡のバックホーム」。家族、仲間、ファンのために「復活」を諦めなかった横田氏の思いが詰まったラストプレーが感動を巻き起こした。
あれから2年。横田氏は「自分の苦しかった経験を話していけば一人でも多くの方の心を動かせると思った」と講演やイベント活動を行いながら、自身の体験をつづった本を出版。プロ野球界、そして病気に苦しむ人たちへの恩返しをする目標に向かって歩んでいる。