松竹新喜劇ホープ植栗芳樹ら曽我廼家五郎、十郎の墓前に大名跡継承報告し決意新た

2021年11月01日 15:50

芸能

松竹新喜劇ホープ植栗芳樹ら曽我廼家五郎、十郎の墓前に大名跡継承報告し決意新た
上方喜劇の祖、曽我廼家五郎、十郎の墓前に名跡継承を報告した(左から)竹本真之、桑野藍香、植栗芳樹と曽我廼家玉太呂、曽我廼家寛太郎、曽我廼家八十吉、曽我廼家文童                          Photo By スポニチ
 松竹新喜劇のホープ、植栗芳樹(40)ら上方喜劇の大名跡「曽我廼家」を継承する3人が1日、喜劇を初めて上演した大阪市天王寺区にある曽我廼家五郎、十郎の墓参に訪れた。
 曽我廼家文童(75)を筆頭に4人の“先輩”も同席。文童は「プレッシャーに感じるな、というのは無理かもしれんけれども、喜劇するのに苦しんでばっかりはいかん。楽しく悩んで」と3人にエールを送った。

 曽我廼家一蝶を名乗る植栗は「少しでも上方のにおいを出せる役者に」と決意を新たにした。曽我廼家いろはとなる桑野藍香(29)は「(継承の)ごあいさつができて良かった。これからどんどん頑張らないと」と笑顔。曽我廼家桃太郎に改名する竹本真之(36)は「改めて身が引き締まる思い」と力を込めた。

 この日は1948年(昭23)に亡くなった五郎の命日。「曽我廼家って古い名前やで~」と当初は後輩が継承することに「賛成できなかった」という曽我廼家八十吉(65)も「“いろは”とか、柔らかい名前を下につけてくれてホッとした」と話し、曽我廼家玉太呂(66)は「若い、新しい感覚を常に持っていて」と願いを込めた。

 82年に継承した曽我廼家寛太郎(63)は「私が世界で一番若い“曽我廼家”だったのに、その座が奪われるとはじくじたる思い」と笑わせた。

 日本の喜劇は1904年(明37)に五郎・十郎が大阪・道頓堀で「曽我廼家兄弟劇」を旗揚げしたのが始まりとされ、そこから後さまざまな変遷を経て「松竹新喜劇」が誕生した。その創設メンバー、浪花千栄子を描いた昨年後期のNHK連続テレビ小説「おちょやん」も話題になった。

 植栗らは6日に大阪松竹座で開幕する「松竹新喜劇 錦秋公演」(21日まで)で正式に名跡を継承する。
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