もしかしたら今ごろボートレーサー? ますおか増田が揺れに揺れた学生時代を大告白「SGはSGでも…」
2021年12月02日 18:31
芸能
ボートレーサーは合格率3%とも言われる狭き門。増田の世代は全国で1600人が受けて合格者は60人ほど。「大阪は300人受けて、3人しか通らなかったんですけど、(その3人に)入っていたんですよ」と言う。武田アナは「なぜ? いろいろななぜ?ですね」と、現在の増田との乖離に戸惑うばかりだった。
増田も当時は興味があったわけではなく「ボートレースのイメージと言ったら、横山やすしさん」というぐらいのものだった。だが、大学2年生のある時。相方の岡田に吉本興業の養成所「NSC」に通おうと声を掛けたが断られ、翌年には当時の彼女にフラれて「ダブルで来たんです。で、自暴自棄ですよ。ハハハ」と笑った。
そこで「旅に出よう」と、ヒッチハイクでの日本一周旅行に飛び出した。「車を100台ぐらい乗り継いで。約2週間で、お金は2万円もかかってないです」。そんな長旅を経て、帰ってきたが「それでもモヤモヤ」。その時、テレビCMで流れてきたのが「レース場で待ってるぜ!ボートレーサー募集中」の誘い文句だった。調べてみるとボートレーサーは「平均年収が1600万円。最低でも500、600万円」という生活。とにかく、受けてみようと決心した。
だが、過酷なのは試験。レーサーには体重制限もあり、試験までの2カ月は「昼はりんご。夜は寒天」という生活で5キロの減量に成功。さらに東京での2次試験を経て迎えたのが、当時、養成所のあった本栖湖で適性検査だった。1期先輩と4日間の同居生活を送り、実際のボートに乗船。1月の寒さで顔にかかった水が一瞬で凍ることもあり、「そこでの4日間がかなりきつかった」という。
集団生活も経験。約10人ぐらいの大部屋で、朝は6時起床。点呼までの10分間できれいに布団を片付け、上半身裸で外へ出て乾布摩擦。その後は駆け足で体操、掃除。8時から始まる授業は夕食後にもあり、7時45分からの自由時間が唯一ホッとできる瞬間だった。10時に消灯時には思わず「これが1年間。中途半端な気持ちでは続かんなと思った」との思いを抱いた。結局、4日間の適性検査も合格し、帰阪。そこで初めて実際にボートレースを生で観戦し「俺はこれをするのか。これを一生の自分の仕事にするのか」と迷った。ボートレーサーになるには大学中退か、休学を選択しなければならず自問自答。「さあ、どうする。さあ、どうする…辞退だと。ハハハ」と、辞退に気持ちが傾いたという。
その後は、大学4年生で就職活動し、見事に内定も得た。そして大学で学園祭の実行委員会をしていた際、終わった後「松竹芸能」の関係者から誘われて名刺ももらい仰天。「あきらめた夢が向こうからやってきたのよ。ボートレースにはG-1とか、SGという大きな大会があるんですけど、G-1ではなくM-1に。SGはSGでも、松竹芸能の方に」と“オチ”を付けて、長い話をまとめた。ただ「僕がくじけた生活を1年間やっている女性もいる」と、ボートレーサーには今でも尊敬のまなざしを送っていた。