中園ミホ氏 脚本家を目指した意外なきっかけをぶっちゃけ「究極のストーカーに…」
2021年12月05日 16:38
芸能
続けて、中園氏は「ストーカーみたいに付きまとってしまって…当時、ストーカーって言葉がなかったんですけど、ホテルで缶詰めになって書いている方で、本当に一方的に思ってたんですよ」と驚きの告白。「(ホテルの)下のロビーで待ってたの。クッキーとか持って待っていて、『はい、クッキー』って(渡すと)、一応、受け取ってくれるんだけど、だんだんあいつまたいるよって(なって)。『明日は君も勉強とか仕事とかやらなきゃいけないことあるだろうから、ここ座ってちゃダメだよ』って言われて。それで『分かりました!』って言ったら、次の日もいたら、『警察に通報するよ!』って(言われて)。それで、トボトボと渋谷駅まで帰ったんだけど、ベンチに座りこんじゃって、電車に乗る気力もなく、座っていて、何台か電車がいったときに、『あ、そっか、あの人と同じ仕事につけばまた会える!』って。究極のストーカーになりました」と話すと、2人からも「知らなかった」と驚きの声がもれた。
それでも、中園氏の思いは止まらず、「そこから、国立国会図書館に毎日、お弁当を持って行って、その人の活字になってる脚本を全部大学ノートに写したんですよ。当時はコピーが1枚30円だったので、100枚とかすごい金額なっちゃうので、これは写ししかないやって思って、毎日やってたら、2年後には脚本家になれた」と明かした。
「そういう時の女の集中力ってすごいと思う」と中園氏。「写してる時に、脚本ってこういうふうになってるんだなってだんだんわかってきて。一目ぼれ…だった」と苦笑した。