松田聖子 涙こらえ沙也加さんと別れ、愛する娘が尊敬した大スターとして 位牌抱え神田正輝と対応

2021年12月22日 05:30

芸能

松田聖子 涙こらえ沙也加さんと別れ、愛する娘が尊敬した大スターとして 位牌抱え神田正輝と対応
神田沙也加さんの骨箱と位牌を抱き囲み会見時応じる松田聖子と神田正輝 Photo By スポニチ
 18日に急死した女優の神田沙也加さん(享年35)の密葬が21日、札幌市内で行われ、母で歌手の松田聖子(59)と、父で俳優の神田正輝(71)が取材に応じた。離婚した2人を19年11カ月ぶりに隣り合わせにしたのは、最愛の娘の死という残酷すぎる現実。聖子は声を震わせながらも、こみ上げる涙をこらえて毅然(きぜん)と振る舞い、沙也加さんが尊敬していた大スターらしい対応を見せた。
 直前まで雪が降る中、聖子はこの日午後2時38分、霊きゅう車の助手席に座り、位牌を手にして斎場入り。人生で最もつらい誕生日となってしまった正輝は別の車で入った。沙也加さんを荼毘(だび)に付した後の午後5時ごろ、2人は取材に対応。姿を現した聖子は位牌、正輝は沙也加さんの遺骨が納められた骨箱を抱え、沈痛な表情だった。

 2人は一礼し、正輝が「近親者のみでお別れをして、お骨にすることができました」と報告。「今は2人とも話すようなことではないので、しばらくの間、そっとしておいていただけたら」と話した。聖子は声を震わせながらも「お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございました」とひと言だけ発し、膝につきそうなほど深々と頭を下げた。

 報道陣約40人が駆けつけ、激しいフラッシュにさらされながらも聖子はあふれそうな涙を、最後までこぼすことはなかった。立ち去ろうとする際には「今のお気持ちは?」と聞かれ、すぐさま振り返り応じようとした。その姿は、悲しみに暮れる母親であり「永遠のアイドル」そのものでもあった。

 自ら芸能界の荒波に飛び込んだ娘にとって「松田聖子」は、憧れのさらに先にあるような存在だった。デビュー時には「歌手としてはやっぱり偉大すぎて、カラオケで母の歌は歌えない」と話した。関係者によると、その思いに恥じないしっかりした姿で見送るため、聖子は前日夜からメークの手配をして「芸能界のスター」として臨む決意をしていたという。

 愛娘が芸能界に入るのを反対したのも母として強く娘を思えばこそ。歌手人生でたびたび逆境にさらされた自身と同じ苦しみを背負う前に、止めてあげたい。沙也加さんが01年にデビューすると「やるとなったら、私がきちんと守っていかなければ」と公言した。05年に沙也加さんが離婚歴のあるギタリストと交際を始めた際に猛反対したのも、娘の将来を考えてのことだった。沙也加さんは時に反発し、引退を考えた時期も経験したが、自らの努力で声優やミュージカル女優など独自の地位を切り開いた。

 聖子と正輝はともにこの日のうちに帰京した。羽田空港に降り立った聖子は、ピンクのカバーに覆われた骨箱をしっかりと胸に抱えながら迎えの車に乗り込んだ。それは、母として、偉大な先輩として、娘の頑張りを認め、ねぎらうような姿だった。

 《19年11カ月ぶり2人並んで》正輝と聖子が公の場で並んで姿を見せるのは、正輝の母で女優の旭輝子さんの葬儀・告別式が行われた2002年1月以来で、19年11カ月ぶり。葬儀は東京都中野区の宝仙寺で営まれ、聖子と一緒に暮らしていた沙也加さんも参列した。聖子は、1997年に正輝と離婚した際にも「世界一の歌手になって」とエールを送ってくれた旭さんをしのび、あふれ出る涙をハンカチで何度も拭った。

 ▽神田正輝と松田聖子 映画の共演がきっかけで1985年4月9日に婚約会見を行い、同年6月24日に挙式。「聖輝の結婚」として日本中の注目を集めた。86年10月に第1子となる沙也加さんをもうけたが97年1月に離婚を発表した。

◆いのちの電話
【相談窓口】
「日本いのちの電話」
ナビダイヤル 0570(783)556
午前10時~午後10時
フリーダイヤル 0120(783)556
毎日:午後4時~同9時
毎月10日:午前8時~翌日午前8時
【楽天】オススメアイテム