松田聖子「やっぱり歌えない」紅白辞退 沙也加さん亡くしまだ1週間…悲しみ深く
2021年12月26日 05:30
芸能
最愛の娘を失い、年内のディナーショーを全て中止した。紅白についてはNHK側は「聖子さんの気持ちを最大限尊重したい」としていた。紅白は、2011年と14年に母娘で出場。その“特別な思い出がある舞台”へ、葬儀が行われた北海道から帰京した翌日の22日、マネジャーとNHK担当者との間で話し合いが始まった。
悲しみの底に沈んでいた聖子。NHKは演出面などを含め出演にこぎつける可能性を模索し、25日に正式に出場を打診。聖子はレコード会社を通じ、辞退の意向を伝えた。レコード会社幹部によると、この日、聖子の担当者から「“やっぱり歌えない”と本人が言っている。辞退することになります」と連絡が入ったという。
辞退したのには3つの理由がある。一つは、最愛の娘を失ってからわずか1週間しかたっておらず、深い悲しみの底にあること。とてもスポットライトを浴びる舞台で歌える状態ではない。2つ目は、昨年まで8年連続で通算24回出場している紅白歌合戦であること。聖子は、紅白がどのような場であるかよく分かっている。出場者が一体となって盛り上げるお祭りであり、歌い納めの音楽の祭典。「悲しみの中にいる自分がその舞台に立つと、ほかの出演者に迷惑を掛けるのではないかという思いがある」(関係者)という。
3つ目は、そもそも四十九日の法要を終えるまでは華やかな場は控えたいという素直な思い。聖子にとっては、考えた末の答えだった。
21日に斎場で正輝と行った会見では、報道陣の前で涙を見せなかった。NHK関係者は「子に先立たれる悲しみは計り知れない。無理をすることは誰も望んでいない」と、傷心の聖子を思いやった。
【出場発表後の主な辞退&取りやめ】
▼松島詩子 1952年の本番当日に交通事故に遭い、越路吹雪が急きょ代役で初出場。
▼雪村いづみ 56年の本番当日に胃けいれんを起こし欠場。親友の江利チエミが雪村の分と合わせて2つのバラを胸に付けて歌唱。
▼北島三郎&山本譲二&鳥羽一郎 86年12月28日に北島と山本が暴力団の新年会に参加したと報道され、翌29日午前にリハーサルに参加するも、同日午後に出場取りやめ。同6時、2人の代役として鳥羽と角川博が発表されるも、同9時に「自分も出席していた」と鳥羽が辞退。鳥羽の代役はシブがき隊。
▼田原俊彦 88年、出場者発表の1週間後に「紅白は卒業」と辞退表明。前年落選の遺恨か。代役は事務所後輩の男闘呼組。
▼HOUND DOG 91年、歌唱曲の選曲を巡って番組側ともめて辞退。バブルガム・ブラザーズが代役で初出場し、歌唱した「WON’T BE LONG」がロングヒット。
▼Snow Man 20年、宮舘涼太が新型コロナに感染し、メンバー全員が濃厚接触者に該当したため辞退。