桂宮治 実演販売から始まった「笑点」への道
2022年01月04日 05:30
芸能
「笑点に決まってから高座に上がると、いつもとは違う拍手が聞こえてくるようになった。昨日(2日)も拍手が鳴りやまなくて、皆さん凄くお祝いムードにしてくれるのでうれしいです」
元々は俳優志望だった。高校卒業後、ワークショップに通い3年ほどフリーで活動したが、鳴かず飛ばず。そこで俳優の先輩に勧められて化粧品販売の仕事を始めた。百貨店やスーパーなどでサンプルを配りながら商品を販売。
「人と接するのが苦手で、ワゴンの下にしゃがんで自分にスイッチを入れていました。そうすると別人格なので、全国から引っ張りだこになった。当時の話術は会場の空気をつかむ時に役に立っていると思います」
通りすがりの人の足を止めさせ、結果を出していたが、この仕事を一生続けて良いのかと悩む日々。ともに役者を目指す中で知り合った妻が「一生に一度の人生なんだから、貧乏でも楽しいことをやった方がいいんじゃない?」と“転職”へ背中を押した。その頃にYouTubeで偶然見つけたのが上方落語の爆笑王、故桂枝雀さんの「上燗屋(じょうかんや)」の映像。妻と2人で10回連続で見て、10回爆笑するほど心をつかまれた。
「ただ一人、座布団の上に座って右向いたり左向いたりするだけで新宿末広亭の立ち見までいる満員のお客さんがひっくり返るように笑っている。しゃべるだけでこれだけ大勢の人をこれだけ幸せにできる、そんな芸能をやってみたいなと思いました」
落語家になるには弟子入りが必要だと知ったが、落語の寄席に行ったことは一度もなかった。「師匠」を見つけるために大小さまざまな寄席に通い詰めた。ある日、東京・国立演芸場で運命の出会いを果たしたのが現在の師匠である桂伸治(69)。
「出ばやしにのって、へらへら出てきた師匠を見た瞬間、体に電気が走って鳥肌が立った。いわゆる一目ぼれですね。後日出待ちをして師匠に話を聞いてもらいました。最初は“やめておきなよ”と言われたんですが、最終的には妻も交えて3人で面談。妻が机に手をついて“よろしくお願いします”と頭を下げてくれて、師匠も弟子にしてくれました」
2008年2月に前座に。目標には一歩近づいたが、化粧品販売員時代の年収1000万円から収入は激減。妻が役者を志していた頃から続けていた銀座のホステスの仕事で、一家の収入を支えた。
「昼間は妻が子育てして僕は修業。僕が帰宅すると仕事に行って、僕が育児をしていました。途中からは前座としてのお仕事などでお金をいただけるようになったので、専業主婦になって支え続けてくれています」
長年、人生の重大な決断の後押しやサポートをしてきただけに、妻は今回の「笑点」抜てきにさぞ大喜びだろうと思いきや、意外な反応だった。
「笑点への出演が決まってすぐに妻にだけは報告したら“皆見ててくれたんだね、よかったね。早く帰ってくれば?”と言われました。妻は何があっても浮かれない人。僕は感情の起伏が激しいですが、妻のおかげで冷静でいられるんです」
笑点出演への恩人は番組の人気の一端を担っていた故桂歌丸さんもその一人。前座時代から「お世話になっていた」という。
「『若手大喜利』をやっている時に“そうやって元気にやってれば大丈夫だよ”とアドバイスをくださった優しい師匠。天国で喜んでもらえるように、歌丸師匠から受けた恩を座布団で返したい」
23日の放送からいよいよメンバー入り。
「今まで毎日一高座一高座、お客さんに笑顔になってもらおうと思って、ここまでやってきた。大喜利でも手を抜かずにやっていけば自然とキャラが付いてなじめるんじゃないかと思う」
強い目ヂカラで前を見据えた。(糸賀 日向子)
◇桂 宮治(かつら・みやじ)本名宮利之。1976年(昭51)10月7日生まれ、東京都出身の45歳。化粧品のセールスマンから落語家へ転身し、08年に桂伸治に入門。12年に二ツ目に昇進すると、半年でNHK新人演芸大賞落語部門で大賞。昨年2月に5人抜きで真打ち昇進。豊かな語り口とパワフルさが持ち味で、古典から新作までをこなす。六代目神田伯山ら11人の落語家・講談師ユニット「成金」でも活躍。