爆問太田「友達が一人もできなかった」高校時代 影響を受けたお笑い芸人とは「自分の価値観が崩れて
2022年01月24日 11:22
芸能
きっかけを問われると、「入学して初日、あるじゃないですか。そんときに誰にも話しかけられなかったんですよ」と太田。「あしたは誰かに話しかけようと思ったけど、なんか話しかけられないまま、それが3日たち、1週間たち、1カ月たち、2、3カ月たつと、『あいつはしゃべらない』っていう俺一人浮いた存在になっちゃって。そっからは俺ももう自分から誰かに話しかけるってことができなくて。そっから3年間そのままいっちゃった感じ」と説明した。
それでも「3年間皆勤賞ですからね。僕は」。林が「立派と」と感心すると「それも自意識なんですよ。友達いないから、『やっぱり学校出て来なくなった』って言われんのが嫌で。何としてでも俺は学校に行くっていう、意地です」と続けた。
学校行事等で話すことはなかったのかと聞かれると、「文化祭では僕は演劇部だったんですけど、1人ですから。部長です。文化祭では一人芝居をやりました。客も1人だったけどね。会場に2人しかいない。苦しいですよ。拷問みたいな」と回顧。来てくれた人は「担任の先生。興味あったんだろうね、なんにもしゃべんないやつが何やんだろうって」と語った。
殻に閉じこもっていた高校時代。「俺はどうして生きて行こうって本当に思ったけど、ちょうど漫才ブームのあのときと重なるんですよ。ビートたけしが登場し、それまで欽ちゃん(萩本欽一)だったでしょ。笑いの主流が。僕は欽ちゃん大好きだったから」とし、「自分の価値観がどんどん変わって行く瞬間なんですよ。(たけしが)『寝る前に、必ず締めよう親の首』とか言うわけですよ。またそのたけしさんが面白いわけですよ。本音の方が面白いと。ガラガラと自分の価値観が崩れて」と毒のある笑いに感化され、思ったことを本音で話す、今の芸風へとつながったとした。
そうして迎えた大学時代は、「今テレビでやってるのとおんなじですよ。キャンパス内でワーッって。誰彼かわまず話しかけて。そこで知り合ったのが田中です」。田中裕二との出会いで爆笑問題の基礎が出来上がった。