「御三家」の橋幸夫「まさか」、舟木一夫は沈痛 西郷輝彦さんとの早すぎる別れ惜しむ…

2022年02月22日 05:30

芸能

「御三家」の橋幸夫「まさか」、舟木一夫は沈痛 西郷輝彦さんとの早すぎる別れ惜しむ…
西郷輝彦さんとの思い出を語る橋幸夫(撮影・島崎忠彦) Photo By スポニチ
 20日に前立腺がんのため75歳で死去した歌手で俳優の西郷輝彦さん。1960年代には、橋幸夫(78)、舟木一夫(77)とともに歌謡界の「御三家」として一世を風靡(ふうび)した。橋は「驚いた。寂しい」と語り、舟木も大きなショックを受けている。
 橋は21日、神奈川県厚木市でのコンサート前に悲報に触れた。会場で取材に応じ「まさかと思った。御三家時代から一緒だったけど、僕より年下。もっと連絡を取っておけば良かった」としのんだ。

 最後に会ったのは、2019年のTBSドラマ「ノーサイド・ゲーム」の撮影。共演シーンはなく「“おはようございます”とあいさつしただけだった。それが最後」と明かした。「やっぱり寂しさが一番。元気な時にもっと会って、いろんな話をしたかった。病気がちだとは聞いていた。電話番号も知ってる。電話すれば良かった。それが悔いです」と肩を落とした。

 一方の舟木は、2歳年下の西郷さんを弟のように思い、がん治療で渡豪する際にも連絡を取って元気づけていた。関係者が「あまりのショックに泣いている。コメントできない状況」というほど、打ちひしがれている。2020年に西郷さんの55周年公演にゲストで出る予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期され、その後、中止に。最後の共演が実現しないまま、悲しい別れを迎えた。

 西郷さんは、先にデビューしていた橋と舟木を追うように、1964年に「君だけを」でデビュー。「御三家」はグループではなく、3人のキャッチフレーズとしてスポニチ本紙記者とレコード会社幹部の雑談の中から生まれたものだった。3人が会うのは年末年始のテレビ番組や雑誌の撮影ぐらい。あくまでもライバル関係だった。

 橋は「仕事でしか会わない3人。飲みに行くこともなかった。事務所も違うし、みんなライバルという意識を持っちゃって。正直、そこが御三家のマイナス点」。それでも、2000年に3人で「メモリアルコンサート」を開催。全国100カ所で125日間、252公演の大成功を収めた。

 デビューが早く年上の橋が兄貴分の立場。「西郷くんは明るいし、九州男児だし言うことはちゃんと言う。舟木はほとんどしゃべらない。個性が違っていた」と振り返った。

 橋は来年5月3日の80歳の誕生日に、声の衰えを理由に歌手業から引退する。現在は引退コンサートツアー中だ。昨年10月に引退を発表したが、「誰かから連絡くるかなと思ったら、2人からは来なかった」と笑った。

 一方で、舟木は今もファンクラブ会員を中心にアイドル的な人気を誇る。今年は芸能生活60周年を迎え、これを記念した全国ツアーが年末まで予定されている。22日には、宇都宮市での公演を控えている。

 ▽御三家 徳川御三家にちなみ、西郷さん、60年デビューの橋、63年デビューの舟木が「御三家」と呼ばれた。3人は00年に30年ぶりに顔をそろえ、01年末までの期間限定で全国ツアーを開催するなどして活動。三田明(74)を加え「四天王」と呼ぶケースも。同じく70年代にアイドル的な人気を誇った西城秀樹さん(18年死去、享年63)、野口五郎(65)、郷ひろみ(66)は「新御三家」と呼ばれた。
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