柳生博さん 老衰で死去 85歳 入院せず大好きな八ケ岳の森に囲まれ穏やかに
2022年04月22日 05:33
芸能
宗助さんは公式サイトで「病院には入院せず、大好きな八ケ岳の森に囲まれ、家族と倶楽部スタッフ、そして在宅医療の皆さまに見守られて、穏やかな最期でした」と明かした。レストラン内に追悼スペースを設けたという。
柳生さんは、徳川将軍家に剣術指南した柳生一族に連なる家系の出身としても知られた。俳優座養成所で演技を学び、1961年に今井正監督の映画「あれが港の灯だ」に出演。ドラマ「飛び出せ!青春」の教師役で注目され、NHK連続テレビ小説「いちばん星」の詩人野口雨情役で人気を集めた。19年の「やすらぎの刻 道」が最後に出演したテレビドラマになった。
温かみのあるキャラクターがお茶の間に浸透したのが「100万円クイズハンター」。81年から12年間、週5日、平日朝に放送された。解答者が賞品を取り合う後半の見せ場に司会の柳生さんが発する「ハンターチャンス!」の掛け声も人気になった。声の仕事も多く、動物番組「生きもの地球紀行」のナレーションを担当。昨年も北杜市で行われたイベントで登場したCG映像の「竜の神様」の声を務めた。
70年代には年700本の番組に出演した柳生さん。有名になったことで当時小学生だった長男真吾さんがいじめに遭い、かつて訪れた山梨県の八ケ岳山麓への移住を決断。76年から東京との2拠点生活を始めた。雑木林を育て、植樹など自然保護活動に尽力。04年からは「日本野鳥の会」の会長も務めた。晩年まで東京と山梨の行き来を続けていたが、この2年間は新型コロナウイルスの影響などもあり、ほとんどを八ケ岳で過ごした。コロナ前は気さくに応じていた握手も自粛していた。
関係者によると、八ケ岳倶楽部のシンボルの多年草カタクリはちょうど見頃。15年に咽頭がんのため47歳で他界した真吾さんが好きだった花。宗助さんは「兄が愛したカタクリを眺めながら、最期の日々を過ごせたこと、幸せだったと思います」と思いをはせた。