宮澤エマ タレント時代が“黒歴史”でない理由「やってなかったら気づいてもらえなかった」
2022年04月22日 17:44
芸能
とはいえ、「この家で大学を出ないというオプションはないな」と、米国の大学へ進んだ。卒業後は「高校生の時に『歌を出さないか?』と言っていただいた事務所さんがいて、だったら1回、そういうつてがある日本で始めてみようと思って戻って来たんですよ」と、日本で芸能活動を始めた。
芸能界入り当初は、父の名字を加えた「ラフルアー宮澤エマ」の名で、女優ではなくタレントとしてバラエティー番組に出演。しかし、「いざ、ならせていただいたものの、ネタもないし、キャラもあれだし、お嬢様キャラとかお金持ちの子とか(として)ブッキングされるんですけど、それもうまくいかない」と、大きな実績を残せなかったという。
そんな中で声を掛けてくれたのが、演出家の宮本亞門氏だった。「高校時代に亞門さんに歌を聴いていただける機会があって、テレビか何かで私を見て、『この業界にいるならオーディションに来たらいいよ』って受けさせていただいて、それがきっかけで舞台をやるようになったんです」と説明した。
タレントとしては目立った成果を残せなかったが、そこで頑張った結果、夢見ていた世界に進むことができた。「タレント時代は私にとっては不思議な時代ではあったけど、それをやっていなかったら亞門さんにも気づいてもらえなかったでしょうし、その期間のおかげで『肝が据わってる』と言われることが多いんですけど、あれだけあやふやな状態でテレビに出ていたからこそ、すごく鍛えられたんだろうなと思います」と振り返った。
大竹から「やっててよかったってことだよね?」と尋ねられると、宮澤は「絶対やっててよかったです。本当にありがたいしかないですよ」と前向きに答えていた。