倉科カナ 母子家庭、5人きょうだいの長女 高校時代は牛丼屋など複数アルバイトも一念発起し芸能界へ
2022年05月07日 11:32
芸能
きょうだいは、倉科は母が骨折して松葉杖で病院から帰って来た時に爆笑して出迎えたと明かしたとし、倉科は「『大丈夫』って言っても何の足しにもなんないから、せっかくだったら記念に明るく出迎えた方がいいかなーと」と笑って見せた。さらに鶴瓶が「三女がなんかあってえらい泣いてたときにも、ハンバーグ食いながら笑いながら写真撮ってたらしい。何で人の涙を笑いながら写真撮れんの」とツッコむと、倉科は「記念だなーと思って」と明るく答えた。
鶴瓶が「気持ちおっさんやな」とあきれると、倉科は「うち、父がいないんですよ。父がいなくて締める人がいないんですね。お父さんに言うからね、というのが全部私の役割になってるんです」。きょうだいはみな金銭面でも凄く倉科の世話になったと感謝しているとも話したとし、鶴瓶が「大変やな、(一番)下の弟が学校に行くのもな」と話すと、倉科は「そうですね。やっとここまで来たかという感じですね」としみじみと話した。長男は「美術の学校に行くねんけど、絵は姉ちゃんの影響やって」と鶴瓶。倉科から絵を褒められていたことも理由の一つで、感謝しているとした。
鶴瓶が家族を支えようと考え始めたのはいつからかと尋ねると「いくつでしょうね。こっち(関東)に出たのは17ぐらいでオーディションを受けて、18でデビューですかね」と倉科。芸能界を目指したのは高校生の時。当時は生活のためにアルバイトを朝の牛丼屋など3つ、4つ掛け持ちしていたとし、その際、「あれ、私何のために生きてるんだろうと思っちゃって。確かに家族のためではあるが、もっと一回きりの人生楽しんだ方がいいんじゃないかと思って、芸能界に昔興味があったから、オーディションを受けてみようと思って」と一念発起。オーディション雑誌で見つけた現在の所属事務所のオーディションで「一回落ちてるんですよ。なんか敗者復活したんですよ」とグランプリを獲得したとした。