坂東彌十郎 感動させるために“ポンコツオヤジ”の挑戦続く 大河「鎌倉殿…」で主人公の父・北条時政役
2022年06月19日 09:00
芸能
「歌舞伎では目を普段以上に見開いていますね。照明が当たる角度を計算して目の光り方も考える。でも映像だと全く別。できるだけ自然に見えるよう、顔では芝居をしない。でもそれがなかなか難しいんだよ」
1973年の初舞台から約半世紀。連続ドラマの仕事は初めてだった。観客ではなくカメラに向かっての演技。シーン別に区切りながら進行する撮影。主戦場の歌舞伎では原則女性との共演がないだけに「やはり女優さんとのお芝居は緊張する」ととまどいも。「でも、撮影が終わっちゃうと(妻役の)宮沢りえさんと会えなくなる。寂しいな~」と鼻の下を伸ばした。
古典に軸足を置き芸を磨き続ける歌舞伎俳優も多い。だが彌十郎は異なる。「どんなに忙しくてもチャンスがあれば何でもやる。今回も66歳にして新しいことに挑戦させてもらえた」。俳優として円熟味を帯びてなお、あふれ出る若々しさ。そこには自身の特殊なルーツも影響している。
銀幕スターだった父・坂東好太郎の影響もあって物心がつく頃には歌舞伎俳優を志した。ただ、父は映画界に長くいたため親戚筋だった八代目坂東三津五郎の預かりに。その直後の75年、三津五郎はフグ毒にあたって急逝。続いて十四代目守田勘弥の元で面倒を見てもらうことになったが、守田もわずか数カ月で亡くなった。当時20歳前後の青年。「どういう運命なんだと思いました」と回想する。
「“俺と一緒に行動してれば良い”という父の言葉を信じた」。商業演劇を回る日々が続く。20代で山本富士子(90)や杉良太郎(77)らさまざまな役者と共演。この時に積んだ豊富な舞台経験が今のキャリアにも生きているという。そんな中で父の尽力もあり、83年から生涯の師・市川猿翁(当時三代目市川猿之助、82)の門下に入った。
猿翁は「スーパー歌舞伎」を始め、現代歌舞伎の先駆者として知られる俳優。教わったことは数え切れないが最も大切にしている言葉は「人を感動させるために、その何倍も自分が感動しなければいけない」。それが還暦を超えてなお、あらゆることを吸収し続けるみずみずしい活力の源なのだろう。
7月には東京・歌舞伎座で「風の谷のナウシカ 上の巻―白き魔女の戦記―」に出演。1年3カ月ぶりの舞台となる。8月にも同所で手塚治虫の漫画を原作とした「新選組」に出演するなど新作への挑戦が相次ぐ。
「先日、免許の更新に行ったら“いつも(大河ドラマを)見ています”と言われたんです。これまで歌舞伎を知らなかった人がこれを機に劇場にも来てくれたら、これ以上うれしいことはないね」
今後の「鎌倉殿…」では彌十郎演じる時政が、義時とともに権力の頂へ上り詰める様子が描かれる。史実の時政は苦楽を共にした有力御家人を追い詰めていくだけに、従来の“愛されキャラ”とは違う一面も見られるのか。「いやいや、そこは三谷さんのうまいところで、あくまで自分は“ポンコツオヤジ”なんです。それは一貫していますね」
ドラマでおなじみの屈託のない笑顔も、歌舞伎で見せる荒々しい隈(くま)取りも、あらゆる役を貪欲に演じてきたからこそ生まれた表情だ。「久々に歌舞伎座に来たお客さんには“彌十郎、仕上げてきたな”とドラマを経て成長した姿を見てほしい。でもあまりハードルを上げない方が良いかな。ガハハ」。その笑顔は自信といたずら心にあふれていた。
《まさか 歌舞伎で「ナウシカ」》東京・歌舞伎座の「七月大歌舞伎」(7月4~29日)では、第3部の「風の谷のナウシカ 上の巻―白き魔女の戦記―」に出演する。彌十郎はナウシカの師・ユパを演じる。「元々、孫と一緒に面白く映画を見ていました。まさかその時は歌舞伎でやるとは思ってもいなかった」と振り返る。心優しい剣豪として知られるユパ。「年齢的にはぴったりだし、立ち回りも好きなので楽しみ」と期待感をのぞかせた。梨園きっての高身長だけに「オファーが巨神兵役じゃなくて良かったよ」とジョークも飛ばした。
◇坂東 彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)1956年(昭31)5月10日生まれ、東京都出身の66歳。73年に「奴道成寺」で初舞台。78年に名題昇進を果たす。市川猿翁や十八代目中村勘三郎さんの作品に数多く参加。14年には長男の坂東新悟と自主公演「やごの会」を立ち上げ、16年にフランス、スイス、スペインの3国を巡る公演を成功させた。屋号は大和屋。