「鎌倉殿の13人」頼朝落馬の舞台裏 大泉洋提案台詞に盛長・野添義弘も感謝!藤九郎&佐殿に「2人の絆」

2022年06月26日 20:45

芸能

「鎌倉殿の13人」頼朝落馬の舞台裏 大泉洋提案台詞に盛長・野添義弘も感謝!藤九郎&佐殿に「2人の絆」
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第25話。落馬した源頼朝(大泉洋・上)の生死は…「佐殿!」と叫ぶ安達盛長(野添義弘)(C)NHK Photo By 提供写真
 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は26日、第25回が放送され、俳優の大泉洋(49)が硬軟自在に演じ、圧倒的な存在感を示してきた鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が落馬した。その場にいたのは、頼朝が伊豆に流罪となった少年時代から仕え続ける愛すべき従者・安達盛長。物語前半最大のクライマックスの1つは、どのように完成したのか。頼朝が心を許す数少ない男を好演している俳優の野添義弘(63)に舞台裏を聞いた。
 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第25回は「天が望んだ男」。身に降りかかる不幸が続き、不安にさいなまれる源頼朝(大泉)は阿野全成(新納慎也)に過剰に助言を求めた。一方、頼朝の嫡男・源頼家(金子大地)と比企能員(佐藤二朗)の娘・せつ(山谷花純)の間に長男・一幡が誕生。比企の台頭を危惧するりく(宮沢りえ)は夫・北条時政(坂東彌十郎)を焚きつけ…という展開。

 武蔵の豪族・稲毛重成(村上誠基)が妻に迎えた時政の四女・あき(尾碕真花)が3年前に病死。建久9年(1198年)12月27日、重成が追善の橋を架けた相模川で供養が営まれた。

 頼朝は全成の助言に従って凶兆を避け、縁起を担いで「方違え」をして参列。途中、和田義盛(横田栄司)の別邸に立ち寄り、巴御前(秋元才加)と面会。木曽義仲(青木崇高)討ちを詫びた。

 参列後、喉に餅を詰まらせたものの、命拾いした頼朝は北条義時(小栗)と政子(小池栄子)に「わが源氏は帝をお守りし、武家の棟梁として、この先、百年も二百年も続いていかねばならん。その足掛かりを、頼家がつくる。小四郎、おまえは常に側にいて、頼家を支えてやってくれ。政子、これからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしい」と託し、自らは「大御所」になると宣言した。

 政子が立ち去ると、義時と2人きり。「小四郎、わしはようやく分かった。人の命は定められたもの。抗ってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れた上で、好きに生きる。神仏にすがって、怯えて過ごすのは時の無駄じゃ。神や仏には、聞かせられぬ話だがのう」――。

 頼朝は北条一門の酒宴に加わらず、一足先に鎌倉御所へ。馬上の人となった。

 林道。安達盛長(野添)が手綱を引く。

 盛長「こうして鎌倉殿の馬を引いて歩いておりますと、伊豆の頃を思い出します。色々ございましたな」

 頼朝「色々あった」

 盛長「失礼。昔を振り返ってしまいました」

 頼朝「構わん。好きなだけ振り返れ」

 盛長「よろしいのですか」

 頼朝「よい」

 盛長「いざ振り返ろうとすると、何も浮かんできません」

 頼朝「ははははは。そなたといると、いつも心が落ち着く」

 盛長「(立ち止まって振り返り)何よりのお褒めの言葉にございます」

 頼朝「初めて…北条の…館に来た時…(やや呂律が回らない)」

 盛長「どうされました。(頼朝の右手が痺れ、顔が引きつる)鎌倉殿…」

 頼朝「と・う・く・ろ・う(藤九郎)…(意識を失い、馬から落ちる)」

 盛長「鎌倉殿!」

 政子、頼家、義盛、三浦義村(山本耕史)、大江広元(栗原英雄)、梶原景時(中村獅童)、比企能員(佐藤二朗)、りくに虫の知らせ。義時はお墓に手を合わせている。義時にだけ「鈴の音」は聞こえない。

 盛長は仰向けに倒れた頼朝に駆け寄る。「佐殿!」――。

 最初に台本を読んだ時の感想について、野添は「ついにこの日が来たか、と。あの頼朝でも、やっぱり亡くなるんだと思いましたね(笑)」。謎に包まれた頼朝の最期は落馬説が有力なことから、第25回ラストの展開については「なるほど、という思いが第一印象でした」と述懐した。

 この日の頼朝は全成の助言に従い「相性の良くない色」「昔を振り返る」などの凶兆を避けていたが「一緒にいた盛長も頼朝の不安に気づいていて、昔を振り返ってはいけないことも分かっていたと思いますが、思わず“伊豆の頃を思い出します”が口に出てしまったんじゃないでしょうか。結局“何も浮かんできません”とユーモラスな受け答えをしていますし、盛長自身にとっては(落馬は)まさかの事態。ここで馬から落ちるなんて全く想定していなかったと思います」と盛長の心情を読み取った。

 「周りに誰もいない、頼朝と盛長2人きりのシーンもなかなかないですし、これが最後だったので、落馬の前までは和気あいあい、ほのぼのとした雰囲気が伝わればいいなと思って演じました」

 盛長が馬を引くシーンはロングショット。画面奥から歩みを進め「何よりのお褒めの言葉にございます」と頭を下げる前に立ち止まるまで1分10秒。「テストの時は立ち止まるのが早すぎて(演出の)吉田(照幸)監督が“もう少し前まで来ていただけますか”と。ちょうどいい位置で止まれるように、僕が歩くスピードと大泉さんとの台詞のテンポを調整しないといけない。その段取り的なことが大変でした(笑)。歩くのが速すぎると台詞が終わる前に“ベストポジション”に到達してしまいますし、ゆっくりすぎると台詞が終わっても届かない。テストは2回、本番は2~3回。ちょうどいい位置で立ち止まれるかどうか、とにかく馬を引く僕次第ですから(笑)、本番は緊張しましたね」と振り返った。

 そして、頼朝が馬から落ちる直前、かすかに聞こえた「藤九郎」(盛長の別名)。台本になかったこの台詞は大泉が提案した。

 野添は「撮影前の現場で、大泉さんが僕に“最後、落ちる前に藤九郎って言ってみますね”と。“盛長に対する頼朝の思いを出せれば”ということで、僕としてはとてもありがたかったですね」と明かし、感謝。「頼朝は落馬する時まで、最後まで盛長のことを頼りにしていたんだ、と印象に残るシーンになったと思います」と手応えを示した。

 第25回の最後の台詞は、盛長の「佐殿!」(頼朝の尊称)。「盛長としても思わず口に出たんだと思いますが、三谷さんが2人の関係性を見いだせる、これ以上ない言葉として書いてくださったと解釈しています。大泉さんの“藤九郎”、僕の“佐殿”、お互いの一言一言に、2人の絆をあらためて実感しました」と感慨深げに語った。

 頼朝の落馬は、史書「吾妻鏡」の約13年後(建暦2年、1212年2月28日)の記事内に「回想」の形で記されている。

 「相模国の相模川の橋が数間にわたり腐り傷んでおり、修理をして欲しいと(三浦)義村が申した。(中略)去る建久九年に(稲毛)重成法師がこの橋を新造して(完成の)供養を行った日、結縁のために故将軍家(源頼朝)が出かけられ、帰りに落馬されて間もなく亡くなられた(後略)」(吉川弘文館「現代語訳 吾妻鏡」より)

 「吾妻鏡」には盛長が一緒にいたという記述はないだけに、一層ドラマチックな展開となった。

 次回第26回(7月3日)は「悲しむ前に」。頼朝を待つ運命は…。

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