吉田拓郎 かつてテレビ出演しなかった理由 「もう時代が違うんだと。テレビで一曲歌うくらいだったら」
2022年06月29日 10:23
芸能
1974年4月からの「吉田拓郎のオールナイトニッポン(ANN)」を皮切りに1980年代、90年代、00年代、10年代とANNレギュラーを担当。2020年4月からは「オールナイトニッポンGOLD」を放送しており、「有楽町、好きだなあ。僕はラジオステーションっていうところになんか自分の居場所があるような気がするなあ。テレビステーションに行くのとは気分が違う。ああいう所に行くと、人から言わせれば借りて来たっていう感じになっちゃうんだけど。ラジオステーションにはポッて自分の居場所があるなって。若い頃からそういう気分ですね。好きですね、ラジオ」としみじみ語った。
1972年に「旅の宿」を発表したころから、テレビの歌番組などに出演しなくなったが「テレビに対してはアンチテーゼもありましたね。なんでお前らと歌わなきゃいけないんだよと。生意気な若造の気分もありましたから。別にテレビで歌わなくたって、俺の音楽は若い奴らはわかってくれるというか。テレビで歌う歌手になるのは嫌だっていうのがあったんですよ。テレビ局に対しては好意的じゃなかったし。出ることがあってもさっさと帰ってくるって感じでしたね」と回想。
同時に当時の社会とも「戦ってました」といい「テレビの歌番組に出て、1曲丸々歌えなくて、それで全国に見てもらって、ヒットさせるっていうやり方はもう古いよって思ってた。もう時代が違うんだって」という思いがあったと明かした。
「特に僕はテレビで一曲歌うくらいだったら、20曲持って全国まわった方がいいんだっていう発想に変えようと。若い連中に全国ツアーをやろう、歌いに行こうと。テレビで顔売るんじゃなくて、現地へ行って覚えてもらおうと。自分の世界を聞いてもらうためには1時間半とか2時間歌わなきゃダメだって。そういう気分で、テレビとか歌番組には出なくていい。自分の足で言って、そこで演奏する聞いてもらうことを大事にしようということで僕らの活動は始まったんです」と当時の思いを口にした。