中山秀征 MC30年、広く愛されるテレビの顔 心掛けているのは「格好つけないこと」

2022年07月17日 09:00

芸能

中山秀征 MC30年、広く愛されるテレビの顔 心掛けているのは「格好つけないこと」
笑顔を見せる中山秀征  Photo By スポニチ
 【俺の顔】タレントの中山秀征(54)が30年間、テレビ番組のMC(進行役)を務め続けている。ゲストやコメンテーターの個性をうまく引き出し、陽気なキャラクターで番組全体を明るくする進行ぶりは芸能界随一。「とにかくテレビに出たい」という少年時代の思いはかない、すっかりテレビの顔となったが、まだ抱いている野望があるという。(飯尾 史彦)
 垂れ目で、常にほほ笑みをたたえたような口元。芸歴40年超のベテランの威圧感はなく、近所の気のいい兄ちゃんのような親しみやすい雰囲気は20代の頃から変わっていない。

 「怒っているのに怒っているように見えないタヌキ顔。話しかけやすいと言われるのはいいところでもあるんでしょうね」

 日曜朝の顔。MCを務めている日本テレビ「シューイチ」(日曜前7・30)は開始から12年目に突入した。当初、2時間の生放送だったが、2時間半を経て20年から3時間に。ニュースもスポーツもバラエティーもやる総合商社のような情報番組だ。

 「格好つけないことを心掛けています。僕はニュースキャスターではなくあくまでタレント。小中学生でも分かるように、専門家が難しいことを言ったらかみ砕く。“ヒデちゃん、そんなことも知らないの?”と言われるぐらいでいいんです」

 タレントが情報番組でMCを務めるケースが増えてきたが、そのはしりは中山だった。2006~09年の日本テレビ「ラジかるッ」は芸能スキャンダルも取り上げ、大御所でもないタレントがタレントを批評するという“ご法度”への挑戦。だが当時38歳の中山は、世間から総バッシングに遭った女優に対しても、人格を否定しないなど人を傷つけないコメントをして人気を集めた。

 「とにかくテレビに出たい」という一心で芸能界入りした。1981年、14歳で劇団に入り、84年に歌手オーディションに合格。しかし、芝居も歌もうまくいかず、わらにもすがる思いでお笑いに転向した。85年にお笑いコンビ「ABブラザーズ」を結成し、同年、フジテレビ「ライオンのいただきます」でデビュー。一躍全国区の人気者になり「テレビの力を知りました」と振り返る。

 しかし、番組を降板した89年を境に人気は低下。コンビは解散し「ピンとしての顔をつくり直していこうとなった」。そこからは仕事を断らず、バラエティータレント、トレンディードラマの脇役、リポーターなど幅広く、多い時で14本のレギュラー番組を持った。その中でも中山の存在を広く知らしめる番組となったのが、92年から出演した日本テレビ「DAISUKI!」。飯島直子(54)、松本明子(56)と街歩きやキャンプ、パチンコなどをする深夜のバラエティー番組だ。

 「今でこそ“ロケもの”と普通に呼ばれるが、当時はそんなに多くないスタイルだった。あの台本のない番組で人となりが丸出しになって、ピンとしての顔を知ってもらえた」

 以降の30年間は少年時代の思いがかない、フジテレビ「ウチくる!?」(99~18年)などでテレビに出続けた。でもまだ野望があるという。「歌とトークとコントがある番組をやってみたい。タモリさんが司会をしていた『今夜は最高!』(日本テレビ、81~89年)のような番組がやれたら憧れのゴールです」

 その布石として、50歳になった17年から、昭和歌謡のみで構成した公演「ヒデライブ」を新型コロナ禍以前まで毎年開催してきた。実際にゲストとのトークやコントもしており「最終的にこれをテレビにしたいんです」と熱く語る。

 MCとしてタレントとしてテレビを知り尽くした中山が理想とするバラエティー。テレビ化される日が待ち遠しい。

 《将来は個展も》「俺の顔」の題字から分かるように、中山は書道を得意としている。これまで多くの書展に作品を出品しており、18日に東京・上野の東京都美術館で始まる「毎日書道展」(24日まで)にも入選。「光」の一文字を出品した。小学1年の時に書道を始め、今も書き続けている。同展の入選証を手に「やってきてよかったなと思います。将来的には個展をやりたいので書きためています」と相好を崩した。

 ◇中山 秀征(なかやま・ひでゆき)1967年(昭42)7月31日生まれ、群馬県出身の54歳。85年、フジテレビ「ライオンのいただきます」でデビュー。同年、ニッポン放送「ABブラザーズのオールナイトニッポン」に18歳で最年少レギュラーに。94~95年放送の日本テレビドラマ「静かなるドン」で主演。愛称はヒデちゃん。血液型B。

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