役者生活70周年の仲代達矢 12月で90歳も「生きてる間は頑張りたい」と役者業続行を宣言
2022年08月12日 18:33
芸能
1952年の俳優座養成所入所から歩み始めた役者人生。70年を「まあ、よく闘った人生だと思う」と振り返った。「正直言ってここまで続けてこられるとは、全然思っておりませんでした。ひとつには、さほどの大病を患うことがなかったこと。そしてもうひとつは、あえて言葉にしてみると、若い頃にたたき込まれた新劇の精神、これがいくらか影響してるかもしれません」と語った。あくまでも舞台をベースにしながら、映画にも数多く出演。小林正樹、黒澤明両監督ら多くの名監督との出会いもあり、映像でも活躍した。
ライフワークとなったのが、75年に宮崎さんと夫婦で立ち上げた演劇塾「無名塾」。もともと自身は立ち上げに反対だったが、役者とコーチの二刀流で続けてきた。「80歳を過ぎて現役だと名優扱いされるけど、年を取るとともに役者の能力は落ちていく。声がパーンと張ってたのに、よれよれになっていく」と語り、「私が育てた若者たちは私よりうまくなって、私は10倍くらい努力しないとやっていけない。それが生きる目的になっている」と明かした。
12月13日に卒寿を迎える。若い頃の「青春」と対比させて、宮崎さんは70歳を過ぎてからの人生を「赤秋(せきしゅう)」と呼んだ。「もう少しで終わりだけど真っ赤に燃えて頑張ろう」という意味だ。「そろそろ冬。現役はやめて、冬眠の時代」とおどけながら、「人間は生まれて生きて、あの世にいく。私もそろそろだと思ってますが、生きてる間は頑張りたい」。燃え尽きるまで演じる。
15日の終戦記念日を前に、会見前には「平和」と揮毫(きごう)した。戦争経験者として現代社会を憂い、「私は絶対に、戦争反対と言いながら死んでいきます」と語った。