人気すぎて国会も動いた光GENJI 内海光司明かす「楽器車とか機材車で会場から出たり」

2022年10月01日 22:15

芸能

人気すぎて国会も動いた光GENJI 内海光司明かす「楽器車とか機材車で会場から出たり」
ジャニーズ事務所 Photo By スポニチ
 元「光GENJI」の内海光司(54)が、1日放送のBS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴」(土曜後9・00)にゲスト出演し、ブレーク当時の仰天エピソードを披露した。
 87年に「STAR LIGHT」でデビューし、爆発的人気を誇った光GENJI。番組では、社会現象になった当時の出来事を紹介した。熱狂的なファンの大歓声で、音楽番組では歓声が100デシベルを記録。電車が通った時のガード下と同レベルの音量で、内海は「MCさんの声が聞こえないんですよね。何を質問されたとか。“スタンバイどうぞ”も聞こえないから、うわ~何言ってるんだろうみたいな」と振り返った。

 他にも、バレンタインデーにはメンバー7人へのチョコレートが4トントラック45台分も届いたエピソードも。レコードが入荷即完売となり、新聞にお詫び広告が掲載されたこともあったという。

 光GENJIの人気は、国会も動かしていた。当時の労働基準法は、15歳未満は夜8時以降の労働はできず、最年少が14歳だった当時は午後8時からの歌番組には出演できなかった。そのため、ファンから出演して欲しいとの要望が殺到。国会で審議された結果、「他に代わりができない当人の個性が重要」などの条件を満たした場合は、労働者ではなく表現者の扱いとなり、労基法の適用外になったという。光GENJIファンの熱意で決まったことから、通称「光GENJI通達」と呼ばれた。

 内海は、通達ができる前を回想し、「メンバー2人が夜8時以降に出られないというので、5人用の振り付けをよく作ってましたね」と苦労を語った。

 移動の際には駅などにファンが殺到してしまうことから、「警備上の問題から、空港とか駅とかはほぼ裏口」だったという。また「楽器車とか機材車に乗って、コンサート会場から出たり。7人が乗っているような車を先に出して、うわ~ってなっている時にこっち(逆側)から出たりとか」と、陽動作戦も実施していたことを明かした。
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