仲本工事さん 温厚で真面目な人 ドリフではサポート役に徹し…コントのリズム保つ役割も
2022年10月20日 04:55
芸能
中学、高校時代は体操部に所属。一方、中学3年の時の誕生日にギターを買ってもらい、ラジオから流れる海外の曲を必死に覚える洋楽少年でもあった。
学習院大でのバンド活動ではギターと歌で活躍。ドリフの一員になったのは1965年。同じバンドにいた高木ブーが「ギターも歌もいける」といかりやさんに紹介したのがきっかけだった。
ビートルズが66年に日本武道館でコンサートを行った際、ドリフは前座を務めたが、メンバーの中で最初に歌ったのが仲本さん。これ以前の同所ではオーケストラ公演しか行われたことがなく、仲本さんは「武道館で初めて歌った男」と周囲に自慢して笑っていたという。その後、音楽と無縁の道を歩いたが、60歳を過ぎたころ再び音楽への情熱が頭をもたげ、愛用のギブソンのギターを手に全国で単独ライブを開催した。
ドリフではサポート役に徹し「5番目の男」を自認していた仲本さん。70年に加藤が交通事故を起こし入院した際、いかりやさんから代役に指名されたことがあった。その時、仲本さんは見事に代役をこなし、いかりやさんを感心させた。古くから知る芸能関係者は「志村さんや加藤さんは次々に新しいことを生み出した。それに対して、仲本さんは決められたことをきっちりとこなし、コントのリズムを保つ役割だった」と評した。
▼広川峯啓氏(エンタメライター) ドリフターズの笑いの中で、とても重要なつなぎ役を担った。コントの最後には加藤茶さん、志村けんさんが大爆笑をさらうのだが、仲本工事さんが見せるちょっとした間違いやとぼけた行動が、絶妙に、スムーズに合間をつないだ。ドリフの大笑いを生みだすには欠かせないコメディアンであり、昭和の笑いを支えた功労者だった。